2012年9月13日木曜日

chronic subdural hematoma

Chronic subdural hematoma

ありとあらゆる手技が述べられている。これほど多様な手技があるのも珍しい。方法論から技術論まで全く正反対のことを言う人もいる。


基本

single Burr hole with closed drainage (passive drainage)

でやってきたのだけれど、こっちに来て初めてTwo Burr hole under GAというのをすることになった。なっている。

まずCSDHを全身麻酔でやることに違和感を感じた。日本では静脈麻酔でコテンと20-30分ほど寝ていただいて、ささっと終わらせていたので全身麻酔というのに非常に違和感を感じ続けていた。

しかしこれも場所が違えば日本でも同じこと。九州系の先生はBurr holeを開けるだけ。洗浄もしないと仰られていた。


実際Two holesをやっていると、これが結構気持ちいいぐらい洗える。Subdural spaceにカテーテルを突っ込む必要もないし、なにしろ全身麻酔、洗いやすいのがいい。おそらくこのTwo burr holesにもたくさんの亜流が存在しているんだろうけれど、それほどこのCSDHというものは多種多様に治療されているということ。それでいてあんまし結果は変わらない。

シンガポール内でもたくさんの亜流がある様子。人によって言うことが違う。どの意見にも一理ある。

実に面白い現象。

2012年9月12日水曜日

才能とかいうものの正体


今日MRCSの試験を受けてきました。

 Member of Royal College of Surgeonの略です。イギリス外科試験です。こちらのCommon wealthは二階建、三階建になっているので、日本の脳神経外科医と違ってこちらの脳神経外科医は必ずと言っていいほど一般外科を回っています。

 そしてその外科系の研修が終わったという修了証の代わりに受ける試験がMRCS。


午後2時からPartAが2時間、1時間休んでPartBがまた2時間。終わるのは午後8時。

なんでこんな中途半端な時間に開始するかというと、イギリス時間に合わせているから。世界中でカンニングが出来ないようにしているとのことです。

2時間で135問。合計270問。決して少ないとは言えない量。

私の隣前に座っていた人など、「止め」の合図の後10問ぐらいイエヤ!と丸していました。時間が足りなかったのでしょうね。パスポートがシンガポールだったので、そういうシンガポール人もいるのでしょう(少ないとは思う、極めて)。

今回の会場はNUSの一室。88人がいました。全員出席。女性のイスラーム系がいなかったので以前と少し違っていました(誰もヒジャブをかぶっていなかった)。男性はわかりません。



 この数日間本当に寝る間も惜しんで勉強しました。やりきったという感じです。ずっと勉強してました。入院というアクシデントがあったので、時間が取れず予定が大幅に崩れていました。

 仕事がある日は帰ってから5時間―6時間。休日は朝の回診が終わったらコーヒーショップで2時間、帰ったらそのまま10時間以上やっていました。

 3日間で2000問、復習を含めると3000問はやったと思います。やはり記憶力が落ちていて、何度やっても覚えられないところがあります。もう繰り返すしかありません。駄目なら声を出す。指を折って10回数える。そんな泥臭い作業をしていました。


 僕は賢くもなく、優秀な人間でもありません。どこにでもいる人間です。

 タダ一つ誇れるものは、やろうと思ったことの「努力」だけは人一倍してきました。

 1,2回単語帳を見ただけで「覚えられないや」と言っている人のなんと多いことか。1,2回見ただけで覚えられる人もいます。でも僕はそうじゃない。

 なので、泥臭い「努力」をします。10回声に出す。指を折って数える。書く。絵を描く。

 そういうことをして、なんとか覚えられるようにする。その点については、僕はがんばってきたと思います。



 会場で受験者を見渡しました。ほとんどがMO。顔見知りもちらほら。うちの病院で働いている人も。皆若い。20代。徒党を組み、楽しそうに受験している。

 そんな中、自分がいる。日本人はまず僕だけ。そこに座って試験を受けている違和感。

 がんばることだけは怠けなかった。そしたら、ここまで来られた。






がんばっている人へ。


 世間はなんとでもいいます。自分の道を信じて進んでください。

 他の人と比較に意味はありません。自分の一灯を探してください。

 仕事の『愚痴』を言う人に、自分の人生を任せないでください。



 まだ途上のランナーです。途中で倒れたら笑ってください。

「ほらみろ」という人と一緒に笑ってください。


もしそうではなく、「一緒にまた走ろう」と言ってくれるのであれば、僕は今あなたを心から応援します。

 しんどい時間を過ごしている友人へ。

 メールありがとうございました。大丈夫です。こんな僕でもこうやっているのですから。大丈夫。








2012年9月9日日曜日

Japanese Translator

 ローカル病院だけれど、時々日本人が入院してきます。1440床で日本人率経験上数人。数カ月に一人の計算。

 なので通訳が必要になる率はとてつもなく低いんだけれど、時々直接携帯にかかってくる。

「外科なんだけど、、日本人がいるんだけど、通訳できる?」


 こっちが長い人が多いので英語は話せるんだけど、やっぱり医学関係になるとどうしても突っ込んだ質問や疑問を伝えることが困難になる。だけどOpeが関係してくることだから、ホテルで水の流れが悪いとかとは訳が違い、「まぁいいや」とはいかない。

 Opeや当直があるからいつも対応できるわけじゃないんだけど、出来る範囲で対応するようにしている。病院イントラネットに公式通訳が提示されているけど、その資料もとっても古そうなので本当に対応できるかどうか不安。。。インドの一地域(何言語かもわからない)なんかも対応してくれる。パンジャビーとかだったろうか。
 
 基本的にはナースに声をかけて、「これ話せる人いない??」と聞くのが早道。大抵一人か二人は話せる人がいる。よっぽどマイナーな言語でなければ。

 客家語が話せる人は非常にまれ。おばあちゃんとか時々客家語しか話せない人がいるんだけど、そもそも話せる人が病院にいなかったりする。琉球語しか話せないおばあちゃんが東京の病院に入院しているような感じだろうか。ウチナンチューの高齢者同士が会話しているシーンをTVで見たけど(竹富島?)、まったくわからなかった。そんな感じなんだと思う。本土系中国人の方も「わからないわ、何言っているか」と諦めていた。


 こっちの人は普通に3ヶ国語は話せるので楽ちんなんだけれど、やっぱりそれでも全てに対応できるわけではない様子。僕はまだ二カ国語だけだけど、来年の夏ぐらいまでには中国語でやり合えるようになっていたい。まったく勉強したことなかったから、未知の言語だけど漢字という共通文化があるので、日本人には少し有利。









2012年9月8日土曜日

振り返り

必要があって少し昔の投稿を見返していました。

なんとも失礼な記載等もありましたが、当時のまま残しておくのもそれはそれと思い、変更もせずにおいています。諸関係方々あの時はご迷惑をおかけしました。

1月からまた別の企画が始まりそうです。10月の総会で某出版社と企画打ち合わせをすることになり、総会発表、帰国を兼ねて大阪でインタビューを行うことになりました。インタビューと言っても企画会議なんですが。

 まだ実現するかどうかわかりませんが、とりあえず出版社との打ち合わせまで話が進むことになりました。今後が楽しみですが、どうなるかは蓋をあけるまではわかりません。


 アジアを就職活動の場と考える医師・医学生はいるのだろうか。


それが企画会議の一つのテーマになりそうです。外科医であればインドも視野に入れてもいい時代が来たのかなという印象が出てきました。デバイスも日本価格よりも圧倒的に安く購入できますし、まず外科症例数がケタが違ってきます。

 中国は20床(脳外専用)あるOpe場を毎日回していると聞きました。レジストラが1年交代で医局長のような役割を担い、ほとんど家に帰れず(病院に住む、と言ってました)、絶大な権力・執行力を授与され、「お前はOpe何番」「お前はあっち」と絶対命令を毎日出して回しているとのことでした(20床のOpe場を回すなら、そういう人が絶対いる、、うんうん)。


 さて、日本。


国内で医師が足りていないという時代に、海外に出ていくのか。出てなにを学ぶのか。日本のほうが優れているだろうに。




 均一化する情報・技術の中で、どうして海外なのか。あるいはどうして国内で医療をするのか。

 臨床医として海外を経験するというのはどういう意味があるのか。

 サムソンがUAE・ドゥバイと病院経営を広げていく中、「日本の医療は一番」と言っている日本のプレゼンスはどうしてないのか。John Hopkins病院の海外分院、Duke大学の医学教育輸出(立派な輸出品)ができるのに、なぜ一流と言われる日本の大学医学部が海外に出ていき教育を輸出できないのか。内視鏡技術が一番というなら、講習会を世界中で開いて小銭を稼げばいい。 
日本の企業が病院に器具売り込みに来ているのを見たことがありません。


一方で、アジアに医療を展開していこうとしている人々(ボランティアではなく起業として)が増えています。インドの医療展開を狙った約4000億円の案件等、ワクワクするようなことをしている方もおられます(日本は結局関わりすらしなかった様子)。




 途中で倒れるかもしれないランナー(倒れたけど)ですが、走っているからこそ伝えることが出来ることがある、と出版社の方から仰っていただきました。租原稿ではOKをいただきましたので、1月ぐらいから本格的に動き出しそうです。

 今から楽しみです。







2012年9月1日土曜日

ボスの家

ボスの家にご招待されワインをひとしきり飲ませていただいた。

Yarra Yering Wine

とってもおいしい。

フルボトルを奥さんと一緒にみんなで空けてしまった。

家の池に鯉が跳ねている。

「these are Nishiki-Goi」

うれしそうに教えてくれた。シンガポールでは池の低温化が難しく、池の底を深く作っておかないと大きくなれないのだそうだ。

同僚がUKのOxfordに出発するのでその前祝い。何故僕も招待されたかは不明。。

おいしいラザニアをいただきながら、途中でSecond Headも合流し?バカ話全開。



こういう夜が来るなんてと不思議に庭に目をやった。

鯉が跳ねる音が静かに響いた。

8月末に起こった至福の時間。

「虫垂はアルコール消毒だなぁ」と笑っているボスも、したたかに酔っていた。

さあ、また明日からがんばろう。