2011年7月26日火曜日

Ric Elias: 3 things I learned while my plane crashed

TEDの飛行機事故を経験したRicのお話。ポトマック川の不時着事故当時を話してくれます。短いのですぐみれます。 ">

2011年7月22日金曜日

Joseph Murphy

他人の幸せを豊かな気持ちで祝福しなさい
それは同時にあなたが自分を祝福している事を意味します


Joseph Murphy (1898-1981)

2011年7月20日水曜日

Train - Drops Of Jupiter

Train - Drops Of Jupiter


陳腐だとか凡庸だとかそんなことはどうでもよくて

ただただこの歌の持つ力にひかれてしまうのだ


「月から戻ってきてから彼女は春みたいに話を聞いてくれて
6月のように話をするんだ・・・・」


lyricな歌詞にけだるいPatrick Monahanの声がブレンドされ、まるで物語を聞いているような感動を覚えてしまう。


たいせつなのはどれだけたくさんのことをしたかではなく
どれだけ心をこめたかです。


Mother Teresa (26 August 1910 – 5 September 1997)

2011年7月17日日曜日

空に、太陽が、ある限り

ウケる日記の一文。

なんて面白い文章を書く人だと思ったら、「ウケる技術」を書いた水野さんだった。

面白いはずだ。


錦野あきら事件
→なぜだか切なく爆笑できます


オ○ニー事件
→ゴッホ耳切り事件に繋がる重要な考察です。


ゴッホの耳切り事件
→ただ面白いです。

たまにはこういうブログの紹介も。




楽しんで失敗するほうが、
退屈しながら成功するよりいい。


George Burns, 1896年1月20日 - 1996年3月9日

2011年7月14日木曜日

over the fence

どうやら少し、フェンスを乗り越えたようです。

まだ確定ではありませんが、新たな医師登録手続きに入りました。これが通れば正式なstaffということになります。

いろいろな方のサポートでここまで来ることができました。

フェンスの上はとても不安定です。結果がどうであれ、フェンスから眺めた景色を忘れることはないでしょう。



「あなたが一番影響を受けた本は何ですか?」
「銀行の預金通帳だよ」


バーナード・ショウ

2011年7月13日水曜日

帰国

一時帰国しておりました。久しぶりの日本。。まぁ数か月ですが。


聞くものすべて理解できるという、違和感。

なんともやかましいアナウンス。エスカレーターでは「子供の手をつなげ」やら「黄色い線を踏まないように」「足元におきをつけください」とずっと注意してくれる。。この文化の背景はなんなのだろう。。


「ヤバくない?」という言葉はかなりヤバく耳に響き、若者は車内で席をゆずらず、、、。うーむ。

タクシーの運ちゃんは景気が悪いことを罵り続け、子供にずいぶんとお金がかかったと僕にもらす。新幹線の中は日本の基盤であるサラリーマンが一時の休みを取っておられた。一様に疲れた表情だった。

飛行機から見た東京上空は確かに昔より街明かりが少ない。


たまたまなのですが、先輩のS先生に出会いました。お酒を飲みながらゆっくりと話をさせていただきました。楽しい時間を過ごすことができました。


書類のことでの帰国でしたが、たくさんの人に会うことができ有意義な時間を過ごすことができました。

今週から医師登録の新しい手続きに入ります。このブログを無事終了できることを祈りながら。

2011年7月5日火曜日

可能性

可能性というのは、時に薄氷の上を進むがごとくになることがあります。

英語ではon the fenceというような表現をすることがあります。昨日フィリピンの友人と話をしていて思いました。オーストラリア移住、その後Googleに入社を希望しているとのことでした。その計画を聞いていて、あまりの真剣さに心打たれました。

「やれるかどうかはわからない。でも、やる価値はある」
「歳をとって、『あぁ、やればよかったなぁ』という後悔はしたくない」

まるで、自分のことを言われているかのように意気投合しました。

「So, you are , sort of on the fence」

「yeah, that's right」強く頷いていました。


フェンスに立つことは怖いことです。落ちるかもしれません。

しかし知るのです。フェンスに立つことでしか見ることができなかった風景があったと。それは出会いであり、人であり、旧知の知人の新しい姿で会ったり、風景であったり、新らしい自分であったり。

足元がぐらつくから危ないでしょという人もいます。その通りなのです。今、国というフェンスを越えています。そこにはビザがあり、医師登録があり、ポジションがあり、多くの問題があります。フェンスから元の場所に着地することもあるかもしれません。

それは意味のないことなのでしょうか。それはわかりません。戻ったじゃないかという言葉に、僕は翻ってかける言葉はないかもしれません。
ただ、フェンスを登ろうとした、あるいは乗り越えた人々と、僕はある種のものを共有することができることでしょう。この数年間で出会った素晴らしい人々との時間のように。

フィリピン人の彼がくしくもいいました。

「自分の村に学校を作りたい」

30歳を越えている彼が、英語学校で僕と出会うのです。僕は誇りに思います。それはグーグルの社員になる可能性のある青年と出会ったというよりも、その可能性を秘め、努力している姿を見ることができたことに感謝しています。

 才能が磨かれている時、実は音がしています。ささやかで小さな音なので、耳を澄まさなければ聞こえてこないような、そんなか細い音です。それが彼から聞こえてきました。

そういう音は、街角のいたるところで、教科書を広げる若者から、英単語を必死で覚えている図書館のおじいちゃんから、医局の片隅で本を読んでいる友人から、何年も英会話をやっている友達から、当直室で何度もスライドを直している人から、それこそ無数の場所から聞こえてくるものです。
 僕はそういうものにちゃんと耳を傾け、そういう一つ一つになれる時は力になってあげたい。それがまた自分を支える。

 僕らにある可能性や才能は、すくなくとも尊敬を受けるに値するものなのだと思う。ただそのいずれも、宮沢賢治の詩のごとく、『五年のあいだにそれを大抵無くすのだ 生活のためにけずられたり 自分でそれをなくすのだ すべての才や材というものは ひとにとゞまるものでない』

 原発のこともあり日本や日本人のことについて思うことはたくさんあるのですが、この「可能性」と「希望」に未来を託したいと強く願うのです。可能性に敬意を払い、それについてしっかりと話し合う。親子であれ夫婦であれ友人であれ政党であれ。
 今世界中が可能性を求めあらがえないほどの大きな波をうねらせながらありとあらゆる大陸と島を駆け巡り、時に暴力的に、時に静かに、花開き、あるいは死に絶えています。可能性とはon the fenceであり、結果を担保するものではもちろんなく、そのための自分の責任が生まれます。それでもなお、自分に見合ったfenceに挑戦し、挑み、その風景を見つめている人を、心から応援したいのです。


 
 
 
 

2011年7月4日月曜日

ハチミツとクローバー

人生が、何の為にあるかって。それは、大事な人の手を、こんな時に、強く握る為なんじゃないのか?




努力だけでは、どうにもならないかもしれん。しかし、努力をしなければ、確実にこのまま

2011年7月3日日曜日

誕生

中島みゆき

「誕生」

・・・・・・
ふりかえるひまもなく時は流れて
帰りたい場所がまたひとつずつ消えてゆく
すがりたいだれかを失うたびに
だれかを守りたい私になるの

わかれゆく季節をかぞえながら
わかれゆく命をかぞえながら
祈りながら嘆きながら とうに愛を知っている
忘れない言葉はだれでもひとつ
たとえサヨナラでも愛してる意味

Remember 生まれた時だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して最初に聞いた Welcome


異国で聞くとなおさら美しい曲だなぁと感じます。