2011年1月27日木曜日

労働ビザ取得

 本日シンガポールより労働ビザ申請書類がメール添付で送られてきました。メール添付でビザ申請書類が送られてくる時代なのですね。フラット化している世界の現れの一つなんでしょうか。

 stasis epilepticsにて入院となったAVMを持つPtを脳波室で見守りながら、そのメールを確認しました。

MOMとSMCに書類をじかに提出する仕事がなお残ってはいます。90%書類仕事は終了です。

先日かつてのボス・現在のボスに「推薦状」を書いていただきました。「公的メールを用いて、本人から直接送付」という条件付きでした。

シンガポールとメールでやり取りしながら思うのです。
可能な限り安全性を重視したやりとりで、非常に効率的だと。

日本であれば、とりあえず「来てください」という、距離を無視した対応が少なからずあるのですが(特に銀行。状況によっては非常に安全性が担保されているにもかかわらず)。結果として「私がちゃんと仕事できるようにしなければならない」。そのためにすべきことは何かをテキパキとしていただけます。もちろんそれ以上に要求されるものも大きいですけれど。

彼ら・彼女達の対応と、日本の公的機関の対応との差異に愕然とします。特にそのスピード感です。これは見習うべきところが多々あります。向こうで働きだしたらさらに感じることがあるでしょう。


とりあえず、労働ビザ申請書類が手に入りました。この書類はそう簡単には手に入らないことを私は知っています。もちろん入国管理ではねられたらそれでしまいです(ないとは思いますが!!)。NNIからの公的書類ですので、それはないとは思うのですが・・。なんせ初めての「観光ビザ」以外のビザ申請ですので、どうしたらよいかもわかりかねます。

2011年1月26日水曜日

「若い移民が必要だ。そうしないと経済が日本のように失速する」リー・クアンユー顧問

本日に日経新聞。

アジアパワー。

フィリピン人内科医、ノエル氏、現在ニュージャージー州勤務医、が語っている。

「アジアのどこでもフィリピンの医師免許が使えるようになり、自由に働けるようになればいい」

ASEANは経済共同体思想実現に向け、15年には医師、会計士などの7つの専門職種における「ヒト」の移動を促進していく。

時代の流れなんだと実感。

己の決断と思えたことでさえ時代の中で規定されている。

フィリピン人が安価な労働力、と言われる認識はあと少しで消滅するだろう。

言語的制約・教育的制約により日本人の多くが単純労働にしか従事できなくなるかもしれない。

そんなのはうんざり。

今ならまだ間に合うと思うのだが。

2011年1月18日火曜日

A Letter from Singaporean

シンガポール人の友人に「住居について教えてほしい」と相談したところ、彼が色々教えてくれました。

要約すると
1)この前長期滞在したホテルを1週間ほど予約してから、シンガポール着。
2)この1週間のうちに、ひとまず、3ヶ月ほどの短期でシェア物件を、ストレートタイムスで探す。
3)その3ヶ月の間に、土地勘を身に着けつつ、長期契約できそうなところを探す。

だそうです。

そうなんです。


住居を決めずに海外にGo!!!!!
が正解、ということです。

ほんまかいな、と。

ということで、住居を決めずにGoすることにしました。

一度現地には行っているのでNovena周囲の土地勘はあります。あの辺りから検索ですね。

3月25日からEEG・EMGの研修会があるので、出席したものかどうか悩んでいます。出ると住居がおろそかになる気が。悩み中です。しかしNNIはこういう勉強会を大々的・定期的によくやれますね。教育にどれだけお金と時間をかけているかがうかがい知れます。


住居の種類については、、

下記参照です。
「【イイネ☆シンガポール07】国民の8割が暮らすHDB(団地)、富裕層と外国人が暮らすコンド…住宅事情をご紹介!」

手抜きです。

 
 
 

2011年1月17日月曜日

住居

海外移住で困るのは、住宅。

シンガポールにはどういう住宅があるのか前情報はあるものの、実際借りるとなるとそれなりの下準備が必要です。

次回住居をまとめてみたいと思います。

2011年1月10日月曜日

利害の調整

「財を賑わすは租を免ずるに如かず。利を興すは害を除くに如かず。」

- 斎藤一斉 -

「君はおりこう みんな知らないけど」



「君はおりこう みんな知らないけど」

銀色夏生


たまには書評を。

口語調の散文詩。

すべてに共感、といった種類のものではないのだけれど、時々ドキッとしてしまうような言葉の鋭さがある。

大澤 誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」の歌詞も銀色夏生さんの作品です。

2011年1月7日金曜日

寓話

島がある。

島民はそれぞれがわずかだが仕事を持っている。

いくばくかのお金を出し合う。

島は高齢化している。

島に残った数人の子供達が無邪気に海岸線で遊んでいる。

今までこの島を守ってきた島民は高齢化を迎え、自分でご飯を食べることもままならなくなったものもいる。

島民はなけなしのお金を出し合って、その金をじっと見つめながら浜辺の小屋で相談している。最後の金である。

このお金で何を買おうか。

島民の一人は

「今まで島を支えてきたあの寝たきりになったじい様、ばあ様に使ってやろう。そもそもこの金ができたのも、彼らががんばってくれたからだ」

島民の一人は言った。

「そうだそうだ、使ってやろう」

もう一人の島民が言った。

「じゃあ、おら達が年老いた時は、誰が出してくれるんべや」

島に、仕事はもうほとんどなかった。

海でとれる魚も、少し離れた島で大量養殖が成功し、だれも買ってはくれない。

子供たちの笑い声が遠くで響いている。島には満足な教材も教師も学校もなかった。

島民の一人が言った。

「船を買ってやろう。それで子供たちを本島に連れて行ってやって勉強させてやろう」

皆顔を見合わせた。

「子供たちのために。未来のために」

島民の一人が怒りをあらわに叫んだ。

「そんなことしたら、じい様ばあ様に食わせる飯すら買えなくなる。見殺しにする気か」

答えは出なかった。

「どっちもは、使えねえ。どちらかだけだ」

島民は最後に言った。

「じい様ばあ様に聞いてみよう」

 島民はみんなで一軒一軒家を回って意見を聞いた。

話しすらできない、胃に穴をあけたばあ様の家も訪ねた。

「穴からいれる栄養剤がなければ、ばあさまは死んでしまう。船を買うわけにはいかねえ」

嫁が泣きながら言った。

島民は元村長のじい様のところに行った。

「わしはもう十分生きた。自分のことは自分でなんとかする。できなければそれはそれでいい。子供に使ってやれ」

次に島民が訪れたのは、漁の最中海に落ち両足を切断する大けがを負った島民のところだった。

「俺は働けない。体が元気ならなんでもする。でもできんのだ。俺にこの島でできる仕事はないか」

 みな無言だった。

「今みなからの援助がなくなれば、俺は餓死だ。それは、つらい。すまん」

島民はまたみんなで集まった。

考え続けた。

考え続けた。

夜が明けた。

いつしか子供の笑い声がなくなった。


こんな寓話を一つ。