2011年6月30日木曜日

きみのようにさ・・・・



きみのようにさ
吹雪やわずかの仕事のひまで

泣きながら
からだに刻んでいく勉強が

まもなく
ぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない

それがこれからの
新しい学問の始まりなんだ

ではさようなら

     ……雲からも風からも

       透明な力が

       そのこどもに

       うつれ……

『春と修羅』第三集 「あすこの田はねえ」
  宮沢賢治
 
 
 
 

2011年6月26日日曜日

壁というのは


壁というのはできる人にしかやってこない

越えられる可能性があるひとにしか

やってこない

だから

壁があるときは

チャンスだとおもっている


イチロー

2011年6月25日土曜日

「風に立つライオン」

風に立つライオン
 作詞・作曲 さだまさし


・・・・・・・・・・
診療所に集まる人々は病気だけれど
少なくとも心は僕より健康なのですよ
僕はやはり来てよかったと思っています
辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです

あなたや日本を捨てた訳ではなく
僕は「現在(いま)」を生きることに思い上がりたくないのです

空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命(いのち)を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい
・・・・・・・・・・・・・



元はさだまさし氏の友人である柴田紘一郎先生の2年間に渡るアフリカでの活動を元に作られた名曲。
異国の地で何を思うか。人それぞれですがある種の寂寞とした感慨、そういったものは共通しているように思います。手ぶらで楽しめる人もいますが、こういう何か心を打つ言葉というものがふと湧いてくるのでしょう。
 柴田先生から聞いたお話から、「さだまさし」というフィルターを通し厳選された珠玉の言葉となり紡がれていったのだろう。

 昔、この歌を熱唱する先輩が大学にいました。いつも歌うのでまたかと思うのですが、今では彼の歌う力強い「風に立つライオン」が一番好きだと思っています。

 
 
 

define me

国を越えるごとに思い知らさせる。己の証明ということのむずかしさ。

「ホタルの墓」の作者、野坂氏が空港で「nosaka」か「nozaka」で止められたことがあるとエッセイで書いておられました。
http://booklog.jp/asin/B000J963LM

自分が自分であることを証明するのは、とても難しいと思う。目の前にパスポートがある。前にも書いたかもしれないが、この根拠を辿ってみると出生届に行きつく。紙切れで支えられている。

己を己と証明するための簡易的方法。それがパスポートなんだとつくづく思い知らされる。入国審査を待ちながらそんなことを考えていました。

パスポートをなくすとそれはそれなりに大変な様子。友人がなくしたことがあり聞いてみると、その後入国審査で何度となく止められたとのこと。悪用された可能性大。日本のパスポートは価値があるので要注意。どことどこは、、、とはここには書けないけど、ある2カ国は信用度が特に低い。

 

2011年6月22日水曜日

ひろしぃ

時々会話をしていて、特に周りから聞こえてきます。

「ひろしぃ」と。


可能な限り日本語を「聞こえてくる言語の選択肢」にしないようにしています。というのも、中国語、英語、タミル語が入り混じって聞こえてくるからです。中にはまったく日本語に聞こえる単語もあります(意味はわかりません)。

その中で突然

「ヒロシぃ」

と聞こえてくるのでなんだろうと思っていると、

He or she でした。

わかってみるとなんということもないのですが、空耳アワーみたいです。

2011年6月20日月曜日

We or I ?

medical officerがプレゼンする。

「患者がこうこうだから、UTI疑って今カルチャーしてる。だから僕は当分抗生剤をブロードで使おうと思う」

するとregistraが話の途中で強く言い返す。

「We」

registarが「OK」と話を続ける。

「僕らは抗生剤を続けようと思う。カルチャーが戻ってきた段階で僕は感受性みて変更しようと・・・」

「We」

「I...now..., "We" are gonna change the antibiotics.....」

彼はいつもこうやってMOを徹底的に刷り込んでいく。「I」という言葉を使わせない。

なぜなら、僕らは「チーム」で仕事をしているからだ。

英語におけるこの種のニュアンスは、その人のpersonalityというよりsocial backgroundによるのだと痛感している。こういうささやかな注意を重ねることで、彼は「チームで仕事をしているんだ」と教え込む。叩き込む。決して勝手にはさせない。
とても大切なことだと感心する。

彼の家族説明を聞いていても、必ず「We」を使っている。こういう繊細な配慮が彼をより一層smartに見せる。

「僕がスマートなんじゃない。彼がスマートなんだと」とiPhoneを振り回す。

イギリス仕込みのlady firstと皮肉が聞いていて楽しい。

washington flag

ワシントン州に住む友人と話していると、「州旗」の話になりました。

「ワシントン州の旗はとんでもなくひどい緑を使っているの。もっとマシな色使えなかったのかしら」と友人はいいます。

確認してみると確かに強い緑。真中にGeorge Washington。色は公式にはdark greenと表現されています。


彼女は、センスがない、と憤っておられました。まぁ確かになというのが正直なところです。

wikipediaからの引用です。
In 2001, the North American Vexillological Association surveyed its members on the designs of the 72 U.S. state, U.S. territorial and Canadian provincial flags. The survey found that the flag of Washington ranked 25th-worst out of all 72 in the running, ranking 47th out of the 72.

あんまり評判もよくなさそうですね。複製するのに一番お金がかかるようです。両サイドにジョージ・ワシントンのシールを貼らなければいけないからのようです。

Flag of Washington


 
 

2011年6月18日土曜日

「ものぐさ精神分析」

古本屋の殴り書き(書評と雑文)
唯幻論の衝撃/『ものぐさ精神分析』岸田秀

久しぶりに思い出した本です。アメリカの友人と話していてふとこの本にたどりつきました。読んだのはもう15年以上前のような気がします。

古い本で批判も多い本ですが、内容が完結されておりstraightforwardなわりには深い意味がたくさん隠されていました。時間ができればまた読みたい本です。



悔恨の情は、得意の折りには熟睡し
失意の時には苦みを増すものである。



Jean-Jacques Rousseau (28 June 1712 – 2 July 1778)

2011年6月17日金曜日

ビザ

ピザではないのである。ビザなのである。

今更ながら、日本人っていつまでも日本にいていいんだなぁと。

当たり前なんですけれど。。。。

2011年6月13日月曜日

room share

roomshareの中国人が電話で大声を出しながら話している。

どうしてそこまで大声で話さなければいけないのかわからないけれど、本人に悪気もなくどうしようもない。

しいて言えば、営業をしている人の電話の出方、みたいな。

もうこれは文化なのだと受けれいています。

僕が味噌汁を器ごともって飲むのを奇異にみられるように。

2011年6月11日土曜日

How can I address you?

Coffee shopに行くとこう聞かれることがあります。

「How can I address you?」

最初意味がわからなかったので「?」という顔をしていると、

どこにいるの、みたいに聞かれたので「あっち」と指さしました。

あとで友人に「どうお呼びすればよろしいですか」という意味だと教えてもらいました。

すごく丁寧な言い方だと思います。

他科の先生と挨拶するとき(特に目上)には覚えておいて損はないフレーズではないかと思います。

ではコーヒーショップで聞かれた時はどうすれば??

友人が教えてくれました。

「なんでもいいんじゃない?Call me Michaelとか」

「いやーマイケルという顔じゃないしなー」

「Vincentは?」

うーん。

つまり、呼ばれたい名前をてきとーに言っちゃっていいというなかなか面白い状況。

Brennt Paris?

パリは燃えているか?



2011年6月10日金曜日

マーク・ザッカーバーグ、中学の卒業式でスピーチ―「近道はないよ!」 - Mark Zuckerberg-






近道はない

「何年も何年も懸命に努力して仕事を続けねばなりません。いやしくやる価値があるような物事はすべて大仕事なんです」

物事の真理を掴むのに年齢は関係ないのだと思った。

傾聴に値するものにこれからも耳を傾けたい。たとえそれが5歳の子供であっても。

2011年6月8日水曜日

秋空

朝露の残る小道で

見上げれば鰯雲

真夏のシンガポールで見つけたあまりに日本的な空に

僕はめまいを覚えて

気がつけば小学校のグランドに立っている

よーいどんのかけ声とともに

大好きなあの子を見つけて

グランドを走り始める

秋空ではなく

シンガポールの真夏に

僕は童心に帰る

つかの間の幻覚

もう20年以上も前の出来事なんて

あまりの時間の残酷さに

思わず微笑みながら噴き出した

悪い冗談であればよかったのに

2011年6月5日日曜日

シンガポールスリング

初めてのシンガポールスリングは実はRaffles Hotelではなかった。
たまたま入ったOrchardのPernakan Road(?)の入口にあるバーだった。

琥珀色のスピリッツにレモンスライスが一つ。オリジナルとは少し違うのかもしれない。

一口飲むとシンガポールの夜に漂う熱気が少し引いていくような気がする。

遠くで誰かの笑い声がする。少し奥まった飯店で酔っ払ったカップルが抱き合いながら一つのタバコを交互に吸っていた。ここだけバンコックのカオサン通りのような雰囲気がある。なぜだろう。

なぜだろう。そう思ってふと気がついた。店の後ろに続く坂道は途中で少し曲がり、夜には行き止まりになっているように見える。

このどこにも行けない行き止まりが、バックパッカーもどきの怠惰な雰囲気を漂わせているのだろう。大声で笑い合い、抱き合い、路上でキスをする人々は、この行き止まりの場所を求めてさまよっているようにさえ思えてしまう。やがて朝が来て、その坂の白々しさ、幻のような夜、ハリボテのネオンが消えてしまうまでのつかの間を楽しむために。

シンガポールスリングの氷がカランと音を立てて溶けていく。

オーチャード通りはいつもの賑わい。夜が更けていき、僕の頭の中もアルコールに満たされていく。

そんな時間も、時には大切。