2010年10月31日日曜日

論文

現在2本が in eiditorになっています。

今年中には勝負はつかなさそうです。



来年4月からのシンガポールに向けて、何をすべきか。

今までためていた日本のデータをすべて論文にすること。

少なくとも、すべてin editorにすること。


その論文の一つは、日本語でいいから、Kaplan-Meyerを使った生存曲線を引くようなものを書くこと。

ただ、やらなければいけないことが山積み。

2010年10月30日土曜日

今日見つけた言葉

喫茶店のトイレにかけてあったカレンダーに書いてあった言葉


「最初から特等席に座っている人には

人生の醍醐味は味わえない」



いろいろな意味にとれる言葉です。


特等席も、案外座り心地が悪いのかもしれません。

2010年10月28日木曜日

学会

学会に参加中です。

非常に心に残る講演をたくさん聞かせていただきました。


心に残った言葉を少し。


小さきは
小さきままに
折れたるは
折れたるままに
コスモスの花さく


ナイスガイであれ(留学の心得)

外科の神様にしかられないように(研究の心得)


どうやって解決するか、から
何を解決するかへ



「決定」=「知識」+「決断」




中国から来られたchen先生とインドからの先生と一緒に
「良い仕事をしましょう」



やはり学会はmotivationをあげてくれます。

2010年10月21日木曜日

論文投稿

本日論文投稿。症例報告。まれな合併症関係のもの。

世界で5例目。

先週も非常にまれな症例に遭遇しましたが、科が違うので(治療には入りましたが)だれも論文化しないでしょう。もったいない。

こうやって、たくさん集まればいずれ誰かがreviewを書いてくれるだろう散発症例が埋もれていくんだろうと思うと、少しさみしくなります。

救急学会にでも書こうかな。




Conflict of InterestとDisclosure Statementの違いがよくわかりませんでした。


もっと勉強しなきゃ。

魚がいても、釣り道具がなければ手が出ない。

「魚がいたんだよ」と医局で昔話をするしかなくなってしまう。

2010年10月19日火曜日

registration

本日、10月19日。

SMCから正式に、2011年4月1日からの医師登録を承認するメールが届きました。

来年から、制限つきではありますが、医師としてシンガポールで働くことができるようになりました。

あと一つ書類を用意すれば、あとはシンガポールに行くだけです。

その書類も、もう慣れたものです。

あれだけ困難に思えた書類仕事も、今では諳んじれるぐらいになりました。とても用意できそうにない書類さえ、今では数日で用意できるようになりました。その「コツ」も掴みました。これは、一生の宝物です。

それは自転車の乗り方みたいなものでした。乗れるようになるまでは非常に困難だし、
「無理なんじゃないの」という声がいたるところから聞こえてきます。

でも、一度覚えてしまうと忘れません。何年経とうが。

昔の人がもうすでにそれについて話しています。それは「知識」ではなく、「智慧」です。いつでもどこでもとりだすことができて、一生なくすことがない。いやむしろ、子に孫に、弟子に教え子にと、どんどん広がっていく種類のものだと確信しました(ではなぜ今こんなに広がっていないのか、、その理由もわかりました)。自分の器を空っぽにして、人の話を聞く。真剣に聞く。物事を適当にしない。一心にする。


5月から本格的に準備を始めて、10月。

丸々半年が経ったということですね。

教授とお話させていただいたのが5月ですので、なんだかあっという間のような、とっても長かったような。


 ある日の、「シンガポール、行きたいなぁ」から、行こうと決めた時。

 今目の前にある向こうへのチケット。

 なんの後ろ盾もない、根なし草として行きます。

 保証などありません。





 実際、向こうのボスに言われました。

「(仕事が)できたら、OK。でも、できなかったら、、」

首を切るしぐさをしたあと、ゆっくりと首を振りながら

「クビだ」

一言、そう言われました。オーチャード通りにあるバールでの出来事です。

じっと見つめられながら、真顔で言われました。

喧騒にまみれたバールの音が、すべて聞こえなくなりました。

その覚悟がなければ、来るなということでした。

すぐに言葉を返せませんでした。

「I will」

私はそう答えたように覚えています。のどがカラカラで声も出ませんでした。

その時、ボスはOKともなんとも言いませんでした。ただ黙っていました。


翌日、顕微鏡実習中の出来事。

ボスがtraineesと談笑していたところ、僕を見つけていいました。

「 He will be in our group next year」


そして今日。

これはただの、始まりですが、始まったことに幸せを感じています。

この施設では日本人初の医師です。

がんばってみます。

  
 
 
 
 
 

2010年10月18日月曜日



maria bayの最上階はなんと、プールがあった。

みんな楽しそうに泳いでいる。

水がヘリからこぼれているが、その先が見えない。見えないのである。そこに立ててあるガラスに警告。

「ガラスには、もたれないでください」


もたれたら、どうなるんだ。


 
 
 
 
 
 
 


カジノ。

見上げるほどの異形。

こんなものが地球上に存在していいのか、というのが初めて見たときの感想。

まるでバベルの塔みたい。

三本の高層ビル(三本、という表現が一番正しいと思う)の上に、よいしょとばかりに船の形をしたstarshipが横たえられている。まるでノアの箱舟みたい。

地下一階がカジノ。外国人はただで入れる。もちろんパスポートを全員スキャンされている。

バカラで勝負。

あっという間に100ドルが消えた。

恐るべし。

少し前に3億円すったIT社長がいたそうな。

 
 
 
 
 
 

2010年10月16日土曜日

Little India



Little IndiaのMRTで下車。どうやらお祭りの前日らしく、派手派手しい繁華街となっていました。



ここのホッカーセンターは超ディープです。インディア系の方が9割。たまに観光地図で見つけただろう白人がちらほら程度。いやぁ、ディープですわ。

食後5セントを握りしめてトイレへ。

 
 
 
 

new water


new water in Singapore


ニューウォーターなんである。新しい水。

上水をほぼ100%マレーシアに頼っているシンガポールの切り札なんだそうである。

下水を浄化した「new water」なのである。

やっぱり、なんか、飲むとき、ひっかかるのである。

2010年10月14日木曜日

TTSH




TTSH内のメインホール。スターバックスやら安い食堂やらコンビニやら様々なものが入っています。もちろん本屋さんも。

コンビニで毎日飲み物を買っていたら

「あんた、スタッフかい?」

とおばちゃんに聞かれました。

苦笑いしながら、
「not actually, in the future」と答えておきました。

「OK」

ふぅーん、という風にレジをピピッとしていました。

病院の光の取り入れ方が素晴らしくて(まず間違いなく風水の考え方が入っているんでしょうが)、自然光で気持ちがいいです。クーラーガンガンだけど。
 
 
 
 
 

singapore toilet


病院で見つけた面白いアナウンスポスター。

ようは、用を足したら流しましょうということ。ちゃんちゃん。

ちなみに大腸がんのアナウンスポスターもありました。

これをトイレに張るのは、素晴らしいアイデアだと思いました。


Balestier Roadを北に向かったところにあるホッカーセンター。中華系の方々がおいしそうにご飯を食べておられました。バスに乗りなれていないので、目的のところにたどりつけない。途中下車でたどり着いたところ。

2010年10月12日火曜日

2010年10月11日月曜日

singapore

Changi Airportから成田、羽田へ。

Asian Roadを通過中。

短い間でしたが、日本文化から隔絶された場所での生活はなかなか思うところが多くあります。

at MRT station (Bedok)

 
 シンガポールの夕暮れが思った以上に涼しく、すごしやすく、心に響きました。


dawn at Changi Airport

「You abandon your country?」

no, not actually.

台湾人との会話です。

この国のあり方や、行き先、色々な事柄を再確認できた旅でした。

Bridge

この言葉を端々で耳にしました。

そういう会だから、というのもあるでしょうけれど、それを差し引いてもあまりに耳につきました。

「架け橋」というfunction。

このfunctionを担う人々が、時には命を賭して突き進んでいることを、知りました。筆舌に尽くしがたい体験の中で、Orchard RoadのバールでHoegaardenを飲みながら考えていました。始めて心の底から、日本を支えた人々の歴史が知りたいと思ったのです。遅きに失しますが。

白隠禅師がおっしゃられておられます。

百姓は畑を一心に耕し

商売人は一心に商売を行い

学生は一心に学び


そのある場所で、一心にfunctionを粛々と行いなさい、と自分なりに解釈しています。

もう羽田のエアポートラウンジにつきました。これから帰国の旅です。

さっそく病院から電話です。シンガポールのtraineeに

「夜の電話とか、どうなってんの?」と聞くと

「there is a on call doctor in the hospital」


なんだそうである。



「幸運の女神は、準備した心にのみ舞い降りる」(ルイ・パスツール)

2010年10月10日日曜日

singapore new account

これから書類関係やなんやかんやで銀行に口座があったほうが便利ですので、DBSに口座を開設しました。

BishanのMRTで下り、DBSに行きました。土曜日の銀行はどこも混んでいるらしく長い列がありました。

 口座開設は比較的簡単でした。ただ、だれもが簡単に開けるわけではないと思います。もし口座を開かれるかたがおられましたら、自分でちゃんと準備をしていかれたほうがよいと思います(私の場合は事前にmanagerにメールで必要書類を確認しました)。
 
 ただ、作ってみて思いましたが、これはstaffの親切なhelpが必須です。誰が担当になるかで変わると思います。私の場合、インターネット用のiBankも必要でしたので、これをATMを使って行います(口座開設以外全てATMで操作可能でした)。その後トークンをもらい処理終了。ご飯を食べて一日が終わりました。

2010年10月9日土曜日

singapore

本日でTTSH関係のシンポジウムは終了しました。ボスから、「早くregistrationを済ませなさい」と廊下で一言。

香港から来た友人にたくさんのマンダリンを教えてもらいました。

BossとAttending staffsが楽しそうにマンダリンで話しているのを聞いていると、「よし、1年以内にペラペラになってやるぞ」と思いました。



この国は思った以上に、Chineseです。当たり前ですが。広東語・マンダリン・英語・シングリッシュ・タミル。街を歩いているだけで様々な言語が耳に入ってきます。小学生低学年がMRT(地下鉄)で広東語を話しながら英語でメールを打っているのを見ると、日本の小学生が将来この子の下で働くことになるかも知れないなぁと不思議な気がしました。まぁ実際東京のH&MのCEOも台湾人ですし、英語の使えない大学卒業生などは、単純労働に流れていく傾向がもっと強くなるとこの国を見ていて思いました。
 実際、裏道を歩いていると、建設ラッシュでたくさんの「コンドミニアム」が作られているのですが、ここで働いている労働者は、英語が拙く、中華系を除いたマレー・インドネシア系が多く働いていました。英語のできる人が、責任者と話をし、そのあとでみんなに広東語がマンダリンで説明する、という風景を眺めながら朝の通勤をしていました。

英語のできない大学生は、どうなっていくのでしょうか。

英語だけがすべてだとは思いません。ただ、言語的隔絶感というものは想像以上です。日本にいる限り、あまり感じませんが。

この国の成り立ち自体が、非常に面白い。それはまた後日。

このブログを始めてしばらく経ちますが、最初の「行こう」から、もうここまで来たのかという感があります。

senior attending staffにcollegueと言ってもらえる嬉しさは格別なものです。

2010年10月8日金曜日

workshop

spineのworkshopがありました。手術室にまで入らしてもらい、そこでナース・Cアームも導入の本格的なdemonstrationがありました。

 demonstratorは世界的に有名なspine surgeon。

教育に対する力の入れようがわかりました。日本でもしこういうことをしたら、Ope場の看護師長・看護師の面倒だなぁと顔が目に浮かびますが、(場所にもよると思いますが)ここでは、すべてがWelcomeでした。むしろこれを機会にNsに世界基準の直接介助をすることを経験させるのが目的なのかもしれません。そして、、、Nsは完ぺきについていっていました。完ぺきでした。あまりの動きにほれぼれしたぐらいです。

明日は最終日。さあ楽しい旅の佳境です。

2010年10月7日木曜日

Tan Tock Seng Hospital

おもにspineについてのbasicな講義でした。

tea breakの後USAからのspeakerからのMIS関係の発表。scoliosisの重症例をMISで治療完結していたのはやはりopenでやっておられた方には隔世の感があるようです。会場からため息が漏れていました。まあ患者さんはまるで背中にたくさんの矢が刺さったみたいになっていましたが。。。



symposium day3


香港のdoctorと仲良くなり、香港の医師状況などを聞いていました。思わず同意してしまったのが、看護師との関係です。香港の看護師は地位が高く、payもよいそうです。しかしECGやEEG,さまざまな雑多なことをあまりしないそうです。ほとんどtraineeの仕事になっており、ドクターがしているようです。専門医を目指している医師にとっては煩わしいことこの上ないようです。日本の、特に大学はそうだよ、と伝えると、「早く改善してほしい」と言っていました。私もそう思います。医師という資格職がするべき仕事と、医師でなくてもできる仕事、看護師でなくてもいい仕事などは、どんどん別の職種に分けていけばいいと思います。
医師不足が叫ばれていながら、日本でも医師が点滴を取ったり(これも大切なことなのですが実は、、、私も研修医時代、大学の看護師さんたちは誰も点滴も採血もしませんでした。夜中に点滴がもれたら、御前3時でも4時でも電話がかかってきました。その都度行っていました。今考えればcrazyです。翌日、というか数時間後には手術に入るというのに)。
Tiger beerを飲みながら、little indiaのホッカーで大笑いしながら話をしていると、あぁ、確かに国境はあるけれど、いささかの努力があれば、理解しあえるなぁと思いました。


 さまざまな国の事情があると思いますが、アジア人として医師を幅広くしていくことに、ある程度の道が見えました。困難な道かもしれませんが、アジア人として医師を続けていくことの喜びを感じた夜でした。




台湾・香港・中国・日本・シンガポール・マレーシア・インドネシア。。。


世界は思った以上に狭いです。

さまざまな人から言われたことは、「日本の医療界は内に向いているね。ひと世代前の人のほうがactiveだった。君たちの世代は「stay home」だね。残念だよ」ということです。

 色々考えさせられる夜でした。日本人が私だけなので、日本語を使ったのは今日これが初めてです。

2010年10月4日月曜日

初シンガポール

初のシンガポールからです。

初日に骨牛茶だかの超ローカルな場所で食事。すべて中国語で話しかけられるも会話にならず。

Noveaの駅でぼーとしていると、道を聞かれ「I am sorry, I am a stranger here」

明日の会場を下見。


すごくいいところ。シンガポールは、生活していくには快適な場所だと再確認。



楽しい旅になりそうです。

今日は遅いのでこれぐらいに

2010年10月2日土曜日

思い

singapore medical councilのHPを眺める。

1年前を思い起こす。

ただ呆然と見つめていた時間。つてもなく、コネもなく、何のつながりもない世界。

行ってみようかな、2009年10月のある日、ふとそう思った。


思う、願うということの、力の凄さよ。

筆舌に尽くしがたい出来事や、辛苦や困難や情念やそういった夾雑物さえ、飲み込んでしまうほどの喜び。

がむしゃらだったと思う。

夢中になれるものを人生で見つけられた。


僕とかかわった人達を、それこそブルドーザーのように、徹底的に幸せにしていきたい。

幸いなことに、両親に「他人の幸せ」を喜べるよう育てていただいた。医者として、欠かせない能力の一つを幸運にも授かったのだ。

 一人でできたことではなく、たくさんの方々のお世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。書類一枚でも、助言一つでも欠ければたどり着けなかった場所です。


 まだ道半ばですが、今日はこれから始まる旅の一里塚です。

 さあ、楽しい旅の始まりです。


機内に持っていく音楽
「1000のバイオリン」
「田園」
「青空」
「Mr.LONELY」
「メロディー」
「夕暮れ」
「情熱の薔薇」
「いいんですか」
「おしゃかさま」
「君という花」
「君の手」他

2010年10月1日金曜日

temporary medical registration approval

sigapore入りを図ったかのように、temporary medical registrationの許可がSMCから下りました。

感覚的には、ポリクリ参加資格授与。登録するから早く申請してね、という段階のようです。