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2012年2月23日木曜日

「彼はいまサービスに行っています」

" He is on leave for Service"


最初聞いた時はまったく意味がわからなかったので聞き流していたのだけれど、続々と男性諸君がこの言葉で送り出されていくのでようやく気付きました。


兵役でした。


シンガポール国民は年に2週間、再訓練を受けることを義務付けられています。

一度は土曜日の朝にボスが軍服姿でICUに現れ非常に驚いたことがあります。


Service、という国家的な言葉を聞くのも新鮮です。

日本でServiceというと、企業的なものか、ボランティアの雰囲気が残りますが、こちらではまず頭に浮かぶのは「兵役・徴兵」です。

バスに乗って通っている軍服姿には、もう慣れてしまいました。

少し前にメイドに軍用バッグを背負わせて、自分は身軽で歩いている兵役の男性が写真と共に取り上げられ話題になっていました。

これでいいのか、シンガポール軍隊、という感じの報道でした。

でもこの小さい国に軍隊がなければ、、、。犯罪やイリーガルな入国、密漁、輸入がたくさんあります。抑止力・軍事的プレゼンスという言葉をここにいると肌で感じます。

2012年2月3日金曜日

救急外来へ向かう時

携帯が鳴り救急外来のTELが画面に現れる。
EDのMOがまくしたてるように患者の状態を早口で説明し始める。年齢・性別・国籍・既往歴・状態・画像所見・血圧。
患者IDを確認し目の前のPCで画像を確認する。

「今から行くよ」

そう言ってエレベータを下りて行く。提示された患者の状態を反芻し、これからやるべきことを知らず知らずリストアップして準備している自分に気づく。

特に週末の救急外来は大混雑をしている。トリアージナースが5つぐらいあるブースでひっきりなしに患者を診察し、トロリーがあらゆる廊下を駆け巡り、倉庫みたいにバカでかい発熱患者用のブースに何十人も患者が寝かされている。蘇生室はCPAの患者が運び込まれ、慣れた看護師と医師があっという間にstabilizeさせていく。policeが物々しい格好で患者に付き添い、SDFの救急車がサイレンと共に救急外来入口に到着する。

そんな中を一人蘇生処置室に向かって歩いていく。

緊張の時間。

日本でならできることも、ここではまだシステムに慣れていないために困難を伴うことが少なくない。FFPの用意、ICUとの交渉、家族との話合い、Ope場の準備とその適切な連絡。

色々な可能性を考えながら怒号飛び交う救急外来を通る。救急車が到着するメインロビーだけで体育館ぐらいの広さは十分ある。

英語は基本通じない患者が多い。ERにはたくさんの人種・国籍の人が来る。通訳はNsがしてくれる。英語で患者に質問し、Nsが訳し患者が答える。マレー語の時もあればマンダリンのこともある。

随分とシステムに慣れてきたのはあるけれど、この一人救急外来へと歩いていく時の想いはいつまでも忘れず持っていきたい。日本でやっている時とは根本的なところで異なった、また違う種類の覚悟が求められていることを痛感する日々。

同じアジア人として、出来ることをやっていきたい。少しずつ。

2011年12月4日日曜日

携帯

やっぱりスマートフォンがなければ仕事にならない。

SingTelのプランを検討中。うーむ。わからん。

たくさんのプランがありますな。外国人の私にも契約可能。EPのおかげ。

NOKIA800を触って驚き。iPhoneとかわらない感覚で日本語入力可能。SUMSANGにはなかった。あるのだろうか。

いやぁ、NOKIA800恐るべし。使い勝手も極めて良好。まだPromotion段階なんだけど。

多言語対応って、やっぱり表示だけなのですね、ほとんどのものは。

お金に余裕があればまよわずiPhone4Sか。

うーむ。明日EP取りに行きながら考えますか。

2011年11月29日火曜日

EP in principleと医師登録

In-principle EPを持って入国審査OK。Embarkment Cardは記入しないといけなかった。事前にしといてよかった。ほんちゃんのEPが出るまではいるわけですね、ふむふむ。前にも経験したくせにもう忘れている。手続きなんてそんなものなのかもしれません。



いよいよSMC登録とEP発行。In-Principle(原理上)は発行されているので事実上の労働ビザでの入国と相成りました。


このIn-principleというのはこの種の手続きをして初めて知った単語。他の国でも使われているんだろうけれど、まぁ海外で労働従事する人以外はお目にかからない書類なんでしょう。ちらっとネットサーフィン(古いか)したらニュージーランドの例がいくつかちらほら。


これからClarke QuayのMOM行って、写真撮って、指紋とられて、なんだかんだしないといけない。



シンガポール留学・臨床への道も佳境に入ったようです。

なんだかんだと2年近く続けていたブログ。

この題でのブログは一旦終了でもいいのかな、と前々から思っておりました。

臨床留学に興味がある人は、どんどん来ていただいたらいいかと思います。

メールいただいたら多少お手伝いできることはあるかと思います(多少です。99%は自分でやることばかりです)。



2011年11月25日金曜日

医療システム①

さて、まとめよう、と思ったのだけれど、これ以上ないだろうというぐらいわかりやすくまとまっているサイトがごろごろ。

手抜き。

東京医科歯科大学のPowerPointが非常によくまとまっていました。
http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/kihonseisaku/002_04_02.pdf



あとコラムシンガポールがルポ風にCPFについて説明してくれています。
http://cgi.geocities.jp/yanto_nippon/column/SocialInsurance.php



CPFのサイト。ここがソース。
http://mycpf.cpf.gov.sg/Members/home.htm


CPFという制度は、家族制度と個別制度をうまく取り入れているなという印象を得ました。
今の日本の社会制度は、医療について言えば「社会還元型」、シンガポールは「家族還元型」といえるかと思います。

というのも、皆さんの払っている社会保険料は払った瞬間自らの手を離れ「市町村」レベルの大きな賽銭箱に入れられるからです。そこに「あなたが払った社会保険料」という「なまえ」は消えています。控除はされます。

シンガポールの場合、払った社会保険料は「名前」つきで個人口座にとどまります。

この結果どのようなincentiveが働くのでしょうか。

日本の場合「使えるうちに使わないと損」という発想になります。実際医療負担の極めて少ない層は「もっと薬をほしい」といわれます。生活保護世帯や母子家庭世帯です(医療費は実質無料です)。母子家庭を維持するため婚期に至っても結婚されない方もおられました。いつも彼氏さんときているにもかかわらずです。籍を設けると母子家庭から外れるから、というのが理由だそうです。
飲めもしないような量の頭痛薬をひつように求める生活保護の方がおられました。問い詰めると「友人がほしいというから」と白状されました。これが現実です。
ただこれも見方を変えれば「医師が十分な処方をしてくれなかった」となるのかもしれません。


一方、ぎりぎりの生活をされている労働従事家庭では、忙しい合間を縫って薬をもらいにきます。検査もいらない、お金がないから、と言われることも多々ありました。


こういうイビツなシステムが今の日本の現状です。一部の貧困層といわれるところから「医療が満足に受けられない」というのも事実だと思います。不要な医療を切る、という英断は政権与党ならできるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

これもかれも、「他人のお金」という考え方が根本にあるからだと思います。「自分のお金」ではないというのは制限なく使用される原因のひとつでしょう。


シンガポールはどうかというと、個人の「医療年金」を積み立てます。

健康であれば、使用することなく、将来より多い年金をもらうことができます。

タバコを吸い、酒を飲み、DMを悪化させれば、まず枯渇するのは自分の医療年金です。将来もらえる年金は激減します。

健康へのincentiveが働いています。

そしてCPF積み立てが不可能な人々に対してはMedifundが用意されています。ある程度強制力のあるもののようです。

すぐ隣にGDPが4倍近く異なる国が存在する国家です。潤沢な福祉を提供すれば経済移民が止まりません。そういう状況も働き、「小さな政府、自己責任、国家に頼り過ぎない人材」を育もうと血の出るような努力を積み重ねてきた国家だといえるでしょう。

2011年11月22日火曜日

シンガポール医療制度のKeywords

今それなりにシンガポールの医療勉強中。


とりあえずまとめる暇がないので、Keywordsのみ。

・Medisave

・Medishied

・小さな政府

・CPF準拠金

・民間保険

・民間病院と公立病院

・クラスによる政府補助金

・医師不足

・高齢化社会

・ポリクリニック

・低所得者と専業主婦問題


等々でしょうか。

2011年11月18日金曜日

シンガポールとHDB

シンガポールと住宅は切っても切り離せない大問題。

HDBです。

Housing and Development Board

 シンガポール建国と共に、「シンガポール人皆が安心して住める家を、自分の住居を誰もが持てるように」というコンセプトから生まれた集合住宅です。

日本でいう公共住宅なのですが、「買う」ことが出来るという点が大きく異なると言えるのではないでしょうか。所有は原則99年可能のようです。まだ勉強不足です。

知りたい人はWikipediaで!!!

2011年11月13日日曜日

祝杯

医師免許承認を受けて、友人が祝杯を上げてくれました。CHIMESの中にあるおいしいステーキ屋さんで、Happy HourのTigarで乾杯をいたしました。


観光地のど真ん中であり、すれ違いざまに日本語が飛び交うのもなんだかすごく新鮮で、 あぁ日本語だぁという気分でした。

海外で自力で就職することが、異文化適応することがどういうことなのか。痛いほど知り尽くしている身の上同士で、ささやかながら乾杯をさせていただきました。


日本に今静かに、しかしひたひたと進行しているこの現象は何なのか。

それを話しあっていました。

まずは「資産流出」。相続税・住民税のないシンガポールに拠点を移し、ビジネスを有利に行っている日本人及びアジア人。シンガポールではいわゆる法人税は最高18%であり、平均すると10%前後。初期設立会社には税制優遇があるので実質はるかに低い税率考えられます。

中堅医師であれば住民税・所得税だけでおそらくビジネスクラスでシンガポールー東京を数回以上(中堅勤務医なら10回可能かも。。)往復できると思います。

 資産流出の次に来るものは何でしょうか。

やはり、「頭脳流出」なのだと思います。私の頭脳などFairPriceのお得品ぐらいなので数にも数えられないでしょうが、癌研究、バイオ、水事業、あらゆる分野でアジアからの頭脳がシンガポールに参入してきています。直近では三菱レイヨンの水事業に関するシンガポール公共事業庁との覚書提出、などでしょうか。
  ただこういったマスな動きでない、ミクロな動きのダイナミズムを最近強く感じます。そういう方々と面識を持ってきた、からなのかもしれません。


 シンガポールの格安ドミトリーの一角に、ぽつんと日本人が座っている。
聞いてみると

「就職で来ました」という。

またアジアを飛び回っている医師がいる。今度シンガポールに来る日本人

麻酔科医の方がこられる。

 小さな動きです。耳を澄ませ足音を立てずに傾聴しなければ聞こえないようなか細い声だと思います。あるいは、無視することさえできるぐらいの小さな雑音かもしれません。でも私を含め、海外で腹をくくっている人々と話し合えばあうほど、確信に近くなってきました。

 日本のワーキングプアでいるより、いっそ海外に出てしまおうということなのでしょうか。


 その声が、音が段々大きくなってきているな、ということです。

 アジアは旅行する場所から、就職・起業する場所に変遷していっているまさにその場に自分が立っているような気さえするのです。 

 ただ、その「思い」と「英語力」とのギャップに現実を思い知らされた人の姿も見ています。ジャンプするには、一度しっかりとしゃがまないといけないようです。 ただここ近年で語学教育は格段にレベルアップしているので、Gatekeeper的な役割を持つTOEFL,TOEICへの抵抗感はドンドンなくなっていくでしょう。


 これが10年後の日本にとって何を意味するのかなど、経済を勉強していない私としては皆目見当もつきません。 目の前にある医療と病に対し、力の限りやっていくしかありません。







2011年11月7日月曜日

LEE KUAN YEW/ HARD TRUTHS TO KEEP SINGAPORE GOING

450ページを越えるボリュームある一冊。ついに買ってしまった。

シンガポール建国の父であるLEE KUAN YEW氏のインタビューが掲載されています。


35歳で首相。

その後31年間。

シンガポールの歴史そのものです。

2011年6月20日月曜日

We or I ?

medical officerがプレゼンする。

「患者がこうこうだから、UTI疑って今カルチャーしてる。だから僕は当分抗生剤をブロードで使おうと思う」

するとregistraが話の途中で強く言い返す。

「We」

registarが「OK」と話を続ける。

「僕らは抗生剤を続けようと思う。カルチャーが戻ってきた段階で僕は感受性みて変更しようと・・・」

「We」

「I...now..., "We" are gonna change the antibiotics.....」

彼はいつもこうやってMOを徹底的に刷り込んでいく。「I」という言葉を使わせない。

なぜなら、僕らは「チーム」で仕事をしているからだ。

英語におけるこの種のニュアンスは、その人のpersonalityというよりsocial backgroundによるのだと痛感している。こういうささやかな注意を重ねることで、彼は「チームで仕事をしているんだ」と教え込む。叩き込む。決して勝手にはさせない。
とても大切なことだと感心する。

彼の家族説明を聞いていても、必ず「We」を使っている。こういう繊細な配慮が彼をより一層smartに見せる。

「僕がスマートなんじゃない。彼がスマートなんだと」とiPhoneを振り回す。

イギリス仕込みのlady firstと皮肉が聞いていて楽しい。

2011年6月17日金曜日

ビザ

ピザではないのである。ビザなのである。

今更ながら、日本人っていつまでも日本にいていいんだなぁと。

当たり前なんですけれど。。。。

2011年6月5日日曜日

シンガポールスリング

初めてのシンガポールスリングは実はRaffles Hotelではなかった。
たまたま入ったOrchardのPernakan Road(?)の入口にあるバーだった。

琥珀色のスピリッツにレモンスライスが一つ。オリジナルとは少し違うのかもしれない。

一口飲むとシンガポールの夜に漂う熱気が少し引いていくような気がする。

遠くで誰かの笑い声がする。少し奥まった飯店で酔っ払ったカップルが抱き合いながら一つのタバコを交互に吸っていた。ここだけバンコックのカオサン通りのような雰囲気がある。なぜだろう。

なぜだろう。そう思ってふと気がついた。店の後ろに続く坂道は途中で少し曲がり、夜には行き止まりになっているように見える。

このどこにも行けない行き止まりが、バックパッカーもどきの怠惰な雰囲気を漂わせているのだろう。大声で笑い合い、抱き合い、路上でキスをする人々は、この行き止まりの場所を求めてさまよっているようにさえ思えてしまう。やがて朝が来て、その坂の白々しさ、幻のような夜、ハリボテのネオンが消えてしまうまでのつかの間を楽しむために。

シンガポールスリングの氷がカランと音を立てて溶けていく。

オーチャード通りはいつもの賑わい。夜が更けていき、僕の頭の中もアルコールに満たされていく。

そんな時間も、時には大切。

2011年5月24日火曜日

ドミトリー

2011年3月末にドミトリーで知り合った友達と再合流いたしました。

IONでお茶をしながらしばし歓談。

お互い「仕事が見つかるといいね」と言っていたような、そんな状態でドミトリーにいたものだから、二人とも就職している(まだ僕はしていないけど)のがとてもうれしかったです。

「何しているの」と聞いてみるとどうやら希望通り金融関係の投資会社に勤めることになったようです。600人の中から選ばれたとのこと、やはりタダものではない。中国から来てオーストラリアで教育を受けているので、もう完全に欧米人。

「中華大革命でむちゃくちゃになったよー」と平然という中華系の若者を見て、カルチャーショックを受けました。

日本にいるときよく「中国は、、」「中国はいつも、、、」「中国はねぇ、、」で始まる会話をよく聞いたけど、この文革の前の話なのか、後の話なのかがすごく重要であることがわかりました。まがりなりにも儒教国家であり続けた中国が、どうしてこれほど「ルール」を無視すすることができる素地が形成されたのか。私も反省しています。中国系とほとんど話をすることもなく、「中国は、、、」などとメディアの言うとおり議論していたのが恥ずかしい。

ともかく、好青年の彼と楽しく時間を過ごしました。ちなみに面接試験ってどんなことを聞かれるの、と尋ねてみると「くだらないものもたくさんあるよ」と。

一つ教えてくれと聞きました。

「例えばね、『ピンポン玉があります。ジャンボジェット機にいくつ詰め込めるでしょうか』とか」

・・・・・。見当もつかない。どうやら、結果ではなく、どう考えたかが試されるようだ。カーゴを考慮にいれたか、ピンポン玉は球体でピンポン玉間にできてしまう空間を考慮に入れたか、おおむね何を基準に考えたか(例:ジャンボジェットに乗るだろう人間の数から換算等)。日ごろの医療から離れた会話だったのでとても楽しかったです。

ちなみにIONは「イオン」ではなく、「アイオン」と発音しています。もちろん日本の「イオン」です。ユニクロも日本食も何もかもあります。高島屋にいけば紀伊国屋も入っているので、お金に余裕のある人は、日本と何変わらず生活できます。

津波・地震・放射線被ばくということもあり、一時は食料品売り場等人が少なくなっていたようですが、今はそれなりに盛り返しているようです。ただこれを「風評被害」と表現できるのかどうか疑問になってきました。。。。

ION Orchard

 
 
 
 

2011年5月2日月曜日

終章

 みなさまご閲覧ありがとうございます。


日本を離れるときから思っていたことではあるのですが、このブログの継続についてです。留学までの経過を綴っていきましたが(それは決して平たんなものではありませんでしたが)、今病院で臨床を始め、違う環境の中でそれなりにやっていくことができ始めました。
 
 これもみなさんからの温かい言葉のお陰だと考えております。

日本を離れ今思っているのですが、このブログもそろそろ役目を終え始めているのではないかと感じ始めました。

このブログを通じて知り合えた多くの方々と、これからも歩んでいきたいと思います。

「シンガポール留学・臨床への道」は自己の軌跡でありますが、個人的に留学を希望される方の少しでも助けになればと続けておりました。
 現在も過去の記述が参考できますし、CVの作成や書類の用意の仕方などはある程度記載していると思います。必要な方はご参照ください。

いままでたくさんの方に訪れていただきました。本当にありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。

個人的に知り合いの方も多くいるかと思います。学会等でみかけたら気軽にお声をかけていただけましたら幸甚です。

1年間お付き合いいただきありがとうございました。

また違う形で続けることができるかもしれません。その時はまたよろしくお願いいたします。

時間だけはどなたにも平等に分け与えられています。いつ終わるかわからないという点でも平等です。シンガポールでサバイバルです。

2011年4月30日土曜日

映画

仕事帰りに同僚と映画に。


「Source Code」

なかなか面白かった。8分間のタイムスリップ。バーチャルリアリティの世界。

仕事帰りに同僚と映画、、、。日本ではなかったなぁ。。

2011年4月19日火曜日

BCLS


 BCLS (Basic Cardiac Life Support)を受けてきました。聞くところによるとregistrar/Emergency medicine/intensive care unitで働くstaffには必須だそうで、病院に来るなり

「BCLSを受けるように」と言われました。

バスに乗りIMSEに到着。バスターミナルからすぐのところだったので簡単に見つかりました。

8:30amから開始なのに、やはり少なくない人が遅刻。しんがぽータイム。

もうやりなれたBCLSを英語で再勉強。

はぁーはぁーいいながらCPRしている人もたくさん。

別の施設から来たDrも同じセッションにおられた。

ファシリテーターには中国語で話しかけられるもわからず。

「あ、ごめん。ごめん」と英語に変更。(顔が中華系なのでいっつもこう)。


昼ご飯を同じ班の人と食べに行く。ホッカー。

皮膚科医の女医さんがいて、一緒にご飯を取りに行くがすぐテーブルに戻ろうとする。

「どうしたの」

「テーブル番号見るの忘れたのよ。テーブル番号言えば持ってきてくれるから」

・・・・驚愕。

そうだよ。その通り。なんで気付かなかったのか。

いつも不安だったのだ。頼んだはいいが、座っとけ、と言われる。前金のところもあれば、後払いのところもある。

だからいつも見えるところ、すなわち、お店にとっても近いところに座らざるをえない。

こんなことすら気付かなかった。一皮むけた。でもまだ玉ねぎ状態。

午後のテスト開始。ペーパーと実地。

どこのfascilitatorも一緒。少し粘り強く次のやるべきことを待ってくれる。少しヒントをくれる。

「・・・それから、、、、次に言うことは、、、、、、」

留学経験のあるだろう医師が思わず

「救急車を呼びます。911!!」

惜しい!!

シンガポールは995!!!



(注意:シンガポールの救急コールは995です。お間違いなく)

2011年4月18日月曜日

I never run away from free meal




さる五つ星ホテルで記念式典。

参加するも、なぜかうちの科は誰も来ず。。。。

300人ぐらい来ている。。。ドレスコードは黒なのに、みんな適当。

赤ワインをがぶがぶ。

やっと来たと思ったら、やはりフェローシップの友人。

とんでもなくオフィシャルな場所に、オフィシャルじゃない二人が座っている。

「なぁ、おかしいと思わないか。スタッフでもない俺達だけが座っているというのは」

彼の言葉に笑いがこみあげてくる。

その通り。

「じゃあ、どこかいくかい」

というと彼が一言。

「I never run away from free meal」


 
 
 
 

2011年4月10日日曜日

holiday in Orchard

there are charity group on streets in Orchard road collecting donation for the disaster-struck area in Japan. I really appreciate that.

I can not get mobile internet at present cos the lack of validity of my Employment Pass to my regret. To get used to, I have to get my internet service at home, but to achieve that, I have to get visa valid at least for one year.

Ohh,,,,

2011年3月30日水曜日

部屋探し②

エージェントの目がきらりと光り、そのまま車でゴーアェイー。

「日本津波で大変なことになってるね」

「大丈夫だった?」

「うちは南西だから幸い被害はなかったけど、、決して幸運にもとは言えない・・」

「おーけー。残念だったと思うよ」

ここでいくつか聞き苦しい話を聞かされた。あえて不問。

「おーけー。次はここね。中国人の女性とフィリピンの女性が住んでいるよ」

「男大丈夫なの」

「問題ないよ、大丈夫。きれいに部屋使っているし。家具も揃っているから」

 やっぱりHDB。でもきれい。部屋は案の定鉄条網あり。家主の中国人女性が走って帰ってきてくれた。

 部屋はシェアスペースにソファ、マッサージチェア、TV、Fan、物置等々。奥の僕の部屋は彼女の部屋と比べると狭いが、問題ない程度。Hpも近い。かなりよい物件。値段もそこそこ。。どうしようかと悩んでいるとシェアメイトになるかもしれない女性が弾丸トークでエージェントとマンダリンで話始める。まさか英語が話せない。。。。いえ、話せました。ただ黙っていただけみたい。この部屋いい。Hpも近い。7,8人でなんて暮らせない。家にいる時ぐらい静かな部屋で一人ゆっくりしたい。ここ今のところナンバーワン。

部屋を出てエージェントが聞いてきた。「どうだった」

まぁまぁと答えておく。

「次のは広いよー。オーナーいないし。週末だけ帰ってくるから、それ以外はあなたが全部使えるよ。気兼ねいらないし。HDBだけど広いよ」

見に行ってみると確かに広い。広い。キッチン・トイレもすべて完備。部屋にもトイレあり。。。だけど、、、部屋にトイレ、、、ないほうがいいみたい。。。。刑務所みたいだった。一般的に想像するトイレとは違い、プラスチックのアコーディオンカーテンの向こうに洋式トイレがあるだけ。。。困った、、これないほうがいい。きっとこれは「プライベートトイレあり!!」みたいに物件には書かれるんだろうな。やっぱり見ないと決めちゃいけないよ。ほんと。

下はホッカーセンターがあっていつでも食事可能。これは便利。だけど、、なんか、、昭和のアパート的な感じ。

車に乗りながらエージェントが聞いてくる。

「どうだったかなぁ。僕の物件。いいのがあったかなぁ。お客さんに気に入ってもらえたらうれいしいよ。僕は一度っきりの商売はしないんだよぉ、ドクター。ドクターがひと段落して家所有したくなったら連絡してよ。コンドとかいっぱいいいのあるから。それを人に貸したりしたらいいから。やり方はまた僕と相談しよう。いつでも連絡待っているよ」

MRTでポツネンと一人立ちつくす。

これでいいのか、物件探し。。。

いや、こんなもんかもしれない。異国の地で一人でやってるんだから。こんなもんだろう。


夜ごはんをClarke QuayのMRI地下で食べた。なかなかおいしかった。

2011年3月29日火曜日

部屋探し①

朝起きてシャワーを浴びネットで検索。

いい物件あり。即電話。

「あの部屋なんですけどー」

「あー、空いているよー。すごくいい部屋だよー。シンガポール人が住んでるよ。いいよね?」

「あーはい。どんな感じですかー」

「えとねー、中国から来たシンガポール人がねー、家族ですんでいてねー、あーそれからカップルがいるねー。子供が二人いるよー」

 どんな部屋だ・・。

怖いもの見たさでapply。

約束の時間にはもちろんこないしんがぽータイムのエージェント。

「そーりーそーりー。いやー、ここいい部屋だよー」

エージェントを待っている間に、、、わかった。ここは超下町。。ほとんど全員中国系。洗濯物が部屋から外へとずらずらとほされている。

エレベーターで6階へ。

部屋の入り口鉄柵あり(あとでわかったけど、普通のことみたい)。馬鹿でかい「福」と書かれたペナントみたいなものがでかでかと入り口の扉に張ってある。

「ここだよー」

入ってみると、二人はマンダリンで楽しく会話。私そっちのけ。

入ってみると、、、2LDKぐらいのところのキッチンでお母さんが豆の皮を向いている。やややんちゃそうな娘がネットでTVを見ている。。。

「おくの部屋が君のだよー。その奥がカップル住んでるからね」

ここに何人住んでいるんだ。。。。私を入れて8人。。。。

トイレを見る。お風呂をみる。。絶句。

無理無理!!!ここ無理!!

「なんでもオーナーに聞いたらいいよ」

聞くことすら浮かばない。

「えーと、ネットとかってどうなってます」

エージェントがそのままマンダリン(公的中国語)に訳してくれる。

「あー、ここねー、違法なのよー。あなた自分でセッティングしてねー」

無理無理!!!ここ無理!!

突然中国の家に放り出された一人っ子みたいになっていました。。

部屋を出て

「どう、ここは?」

「・・・ほかに心当たりありますか」

エージェントがもちろん、という風に親指を立てた。大丈夫かなこのエージェント。

エレベーターを降りて下でもうひとつの物件のオーナーに電話してくれた。

電話口でオーナーの中国語が聞こえる。

そうするとエージェントがいくつか質問してくる。

僕が英語で答える。

エージェントが中国語で伝える。

これを数回繰り返した。なんだか不思議な感じ。ここでは外国人なんだけど、さらに一皮かぶった外国人のように感じる。

「次の物件はいいよ。すごくいい。フィリピン人と中国人との3人シェアになるけど、、いいよぉ。オーナーがいないし」

エージェントの目がきらりと光った。

さあ、もう来るなら来い。

続く。