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2012年3月7日水曜日

ある友人の想い出

大親友が書いた「クリスマスイブの想い出」

埋もれさせるのはあまりに惜しいお話なのでこちらで許可をいただいて紹介させていただきます。





研修医の先生方へ。

みなさんの研修期間に、一つでもいいからこういう想い出を持って下さい。一生の宝物になります。

私にも、あります。いつか話せる日がくればその時に。

時間は思っている以上に短いものです。大切に過ごしてください。



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みなさん、素敵なクリスマスイブを過ごされていらっしゃいますか?

ところで、みなさんの思い出に残るクリスマスイブってどんなイブだったんでしょうか。
恋人や愛する人と過ごした夜。
家族と過ごす暖かい夜
たくさんのプレゼントに囲まれていた小さい頃の思い出・・・。

私の最も思いで深いイブの夜は、もう10年以上も昔、医者になって初めて迎えるクリスマス・イブの日でした。
その年の秋、私はとある都立病院の産婦人科で臨床研修医として仕事をしていました。
産婦人科は学生の時からちょっと特殊な印象を感じて特に好きになれませんでした。
それは、ほとんどの患者さんが病気ではなく、一生に一度か二度(もちろん、何度もある女性もいらっしゃれば、一度もない女性もいらっしゃいますが)の一大イベントのために来られています。
ですから、出産の時にデキの悪い私がまごついていると、
「何やっているのよ!!」
「先生、そうじゃないわよ!!」
と看護師や助産師さんからだけでなく、時には妊婦さんからダメ出しや怒声を浴びせられ、本当に冷や汗ばかりかいている研修でした。

また、他の科であれば、患者さんのベッドサイドにいて話を聞いたり、検査結果などから治療方針を検討したりするのですが、特に産科の患者さんは、たいていは出産やその後の授乳などの疲れから、患者(妊婦)さんは、お休みになっていたり、ご家族で過ごされていることが多く、訪問しても話もロクに聞くことが出来ずに、手持ちぶさたになってしまう時間も多くて、今更ながらですが、かなり苦痛を感じることも多かったのでした。

そんなある日、指導医から、80歳の女性の主治医になるように言われました。
その女性の名を「とみさん」とでもしましょう。

とみさんは進行した子宮頚癌の患者さんでした。
結婚歴もなく家族ももう50年近くも会っていないという妹さんが1人いるだけでした。
東証1部上場企業の社長、そしてその方が会長になられた後も秘書を74歳まで務められ、その後は唯一の趣味である写真を楽しみながら、自由な日々を送っておりました。

その2年ほど前に子宮癌が見つかり、きちんと告知を受け進行している状況を知ると、自ら積極的な治療を選択しませんでした。その後は、貧血傾向になると2週間ほど入院し、点滴治療や輸血を受けて退院していくような状況でした。

病棟に行くと、看護師さんから、
「とみさん、ものすごい変わっている人よ。覚悟して会ってこないといけないよ!!」
と言われました。
看護師に対して、目上に対する挨拶の仕方、物の置き方など、作法がなっていなければ、厳しく注意する、非常に堅気な女性だったのです。

さっそく、私はとみさんに会いにお部屋に行きました。
輸血が必要なくらいの貧血なのに、半袖のTシャツを着て、自分の家から持ってきたぞうきんで、ベッド柵やその横にある棚をぴかぴかに拭いているのでした。
「あら、あなた新しい先生なの?」
「いつもS先生ばかりでつまらなかったから良かったわ。ちょっと、あなたも椅子に座ってお話ししていきなさいよ!!」
と言って、面会者用の椅子を自分で運んできてくれました。

その時に何を話したか覚えていません。
でも、唯一覚えているのが、「どうも、今回ばかりは、私、家に帰れないような気がするの。だから一番の宝物であるこのカメラを持ってきたのよ。」
と言って、突然自慢のカメラで私のことをパシャパシャ取り出したのでした。

その後、相変わらず女性スタッフに対しては厳しい毒を吐くとみさんも、私が訪室すると本当に喜んでくれて、勝手に外出してはお鮨やケーキなどの差し入れを私に買ってきてくれるのでした。

ところが、入院も1ヵ月半を過ぎたあたりから、食事の量が目に見えて減ってきたり、私の回診時や訪室時も、以前はベッドや椅子に座っていたのに、ベッドで寝ていることが多くなってきました。

そして12月に入ったのある朝、突然、「今週の日曜日に、私と一緒に外出して、美味しいものを食べに連れて行ってくれないかしら・・・」とお願いされたのです。
患者さんと2人で外出するのは、かなりまずいよなぁと思い、つい返事に窮していると、
「私、S先生に外出届出して許可頂いたわよ。藤本先生と病院の周りを散歩するためって言ってあるから大丈夫よ!!」
というではありませんか・・・。

前日の夜、回診の際に、とみさんがお鮨を食べたい、と言ったので、私は仕事をし始めてほとんど着ることのなかったスーツを着込んで、大学時代の恩師に以前連れて行ってもらった、決して高級なお店ではないけれど、親しみのあるお鮨屋さんに、とみさんを連れて行くことにしました。

既に自分でタクシーから降りることも出来なくなっていたとみさん、抱きかかえて降ろしてあげたときに、あまりにも身体が軽くて、胸が締めつけられました。
しかし、手を引いてあげてカウンターに座ると、この2,3週間、食事が取れなかったことが嘘ではないか、と思えるくらいにたくさん食べてくれました。
板さんも、さりげなく、とみさんが食べやすいように小さめにお鮨を握ってくれて、本当に嬉しそうに食べてくれました。

ふと、




「あなたね、靴だけにはお金をかけなさい。本物の革の靴を履きなさい。
靴を見ればだいたいその人のことが分かる。本物のエグゼクティブは、スーツなんか見ていない、靴で相手を判断しているよ。これが、あなたに送る私からの最後の言葉ね。」


私たちの言葉のやりとりから、全ての事態を把握していた鮨屋の女将さんは、人目もはばからず泣いていました。
とみさんも、涙が頬をつたっていました。
私もカウンターのお料理が涙でかすんで見ることができませんでした。

翌月曜日、私が訪室しても、とみさんはもう頷く事くらいしか出来ないくらいまで衰えていました。

12月23日当直中の私は何度も診察の合間にとみさんのお部屋を訪室しました。呼吸が苦しそうだったので、酸素をしてもらうように看護師さんにお願いをしました。
そのためか、12月24日朝、当直明け、とみさんは目は開けていなかったけれど、モニター上の血中酸素飽和度も100%を示し、顔色もとてもよく見えました。

これなら、今日1日は乗り切ってくれるだろうと思った私は、お付き合いしていた女性とクリスマス・イヴを過ごすために、病院をあとにしました。
しかし、夜になり、楽しいはずのイヴが、何となく胸騒ぎがして、全然楽しめなくなってしまいました。

思い立って、私はタクシーで病院に戻りました。
病院に着いたのは、イブが終わるあと5分ほど前でした。
とみさんのお部屋に行くと、すでにとみさんはきれいにしてもらっていた後でした。
朝最期に会った時と同じように、顔色も良くすっきりとした笑顔でした。

「亡くなる直前のラウンドで、とみさん、先生の名前言っていたよ。」
と夜勤の看護師に言われた時に、私は人目をはばからず涙が止まりませんでした。
最期を看取ってあげることの出来なかったことを、本当に後悔しました。
あの日曜日に、力を振り絞って一緒に外出してくれて、あんな素敵な言葉を頂いたのに、なんで今日一日をとみさんのために使ってあげることができなかったのか。

月日が流れて10数年が経った今も、クリスマスイブは、私にとって決して甘い日ではなく、胸がギュッと締められるような、そんな日なのです。

あと1時間ちょっとで、イブも終わりですね。
素敵なイブ、そしてクリスマスをお過ごし下さい。

長いお話しにお付き合い下さいまして、本当にありがとうございました。

おやすみなさい。


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2012年2月17日金曜日

steve jobs

Stay hungry

Stay foolish


酒を飲んでバカをするのとは違う。



彼のこの言葉に心から頷いてしまう。

点と点を繋ぐ。


僕の今はきっと、次の点に繋がっている。

そしてジョブズは、「それを信じること」の大切さを強調している。


「失敗してよかった」

彼は演説の中で何度かこの言葉を伝えている。




「大学を辞めて良かった」

「自分の作った会社から追い出されて良かった」

その結果、底の底で初めて気づくものがある。


ゲーテが言っている。

「涙を流しながらパンを食べたものでないと、人生の味はわからない」

みんな表現が違うだけで、同じことを言っている。

さて、明日もがんばりますか。

2011年12月22日木曜日

新たな課題

来る時は思ってもいなかった課題にぶち当たることに。

右往左往していたら、その課題をすでに乗り越えた人が現れた。

なんという偶然。いや、やはり必然なのでしょう、はい。

あるところに辿りつけば、次の課題を神様が与えてくれるのだと思う。仏教徒で神様という言葉を使うのも可笑しいかもしれないけれど、人間にはやはり崇高な存在が必要。

どうすれば乗り越えられるのか、1%の助言と99%の自己努力。

ただこの1%とがないと、始まりさえ起こらないのだから物事はいかに不思議になり立っているか面白い。

最近「どうしたらシンガポール留学できますか」という連絡が来るようになりました。

自分の経験を少しずつでも伝えていけたらうれしいです。



人とのつながりに感謝。

2011年12月9日金曜日

世界共通の哀しみ

病気で親を失う。子を失う。


私達にとっては患者である人は、ある人にとって「お母さん」であり「娘」である。


手を取り涙を流しながら耳元で何かをささやいている。昔の楽しい想い出話しかもしれない。

あるいは、ただただまだ残る手の温かさを確かめているのかもしれない。


Bad Newsを伝えて泣き崩れる。


人種も民族も言語もなく、そこには病院という同じ舞台の上で繰り広げられるドラマがあって、僕はどこの国にもある、どこにでもある、当たり前で、当たり前ではない、深く深く果てしない愛情の泉があることを知る。

マンダリンでわからないはずなのに、ほとんど一字一句たがわず理解できている自分に驚く。

人が失われる哀しみに国境はないのだと、あまりに当たり前のことを、見て心の奥深くに刻みこんだ。

2011年10月6日木曜日

TOEFLと医師登録

長らく更新が途絶えていました。ようやくTOEFLが合格点に達しビザ申請更新ができそうです。

最終的に101点となりました。以前のスコアを確認すると73点!!なんとまぁ低いのでしょう。これで100オーバーを狙っていたのがすごいなぁと我ながら感心します。楽観的なのもそれなりに効果はあるようです。

そもそも留学を目指す人はこういうスコアを学生時代に目指すんでしょうね。実際試験場でお会いした人のほとんどが20代と見受けました。中にはこなれた40-50代の方もおられましたが、雰囲気が講師という感じでしたのでまた意味が違うかと思います。一番年齢が低い人で中学生ぐらいが受けていました。小学生はさすがに見かけませんでしたが(中国では結構いるようです)。

これからClinical Associateのビザ申請を行い登録申請が下りれば晴れてシンガポール医師免許獲得ということになります。他科を別にすればこの分野では初めての日本人医師なので、やってみた甲斐はあったのかなと思います。ボスにも早く来なさいとメールで督促をいただきました。

医師のビザというものは本当に厄介です。ビザ発行の最低条件が医師登録であり、医師登録のためにはそれなりの大変な道が待ち受けています。

結局私は2年半かかりました。

そういうものなのでしょう。海外に本気で行くということは。

これからです。これからがもっと大変なのだと思います。


ただ、少し時間がありお世話になっているお寺さんで座禅をさせていただく機会に恵まれました。泊まり込みの座禅でしたのでそれなりにキツいものです。そこでさまざまな方と出会うことができました。狭い世界ですので、他の職種の方としっかりとお話する機会がなく大変貴重な時間でした。

2011年7月26日火曜日

Ric Elias: 3 things I learned while my plane crashed

TEDの飛行機事故を経験したRicのお話。ポトマック川の不時着事故当時を話してくれます。短いのですぐみれます。 ">

2011年7月3日日曜日

誕生

中島みゆき

「誕生」

・・・・・・
ふりかえるひまもなく時は流れて
帰りたい場所がまたひとつずつ消えてゆく
すがりたいだれかを失うたびに
だれかを守りたい私になるの

わかれゆく季節をかぞえながら
わかれゆく命をかぞえながら
祈りながら嘆きながら とうに愛を知っている
忘れない言葉はだれでもひとつ
たとえサヨナラでも愛してる意味

Remember 生まれた時だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して最初に聞いた Welcome


異国で聞くとなおさら美しい曲だなぁと感じます。

2011年6月25日土曜日

「風に立つライオン」

風に立つライオン
 作詞・作曲 さだまさし


・・・・・・・・・・
診療所に集まる人々は病気だけれど
少なくとも心は僕より健康なのですよ
僕はやはり来てよかったと思っています
辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです

あなたや日本を捨てた訳ではなく
僕は「現在(いま)」を生きることに思い上がりたくないのです

空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命(いのち)を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい
・・・・・・・・・・・・・



元はさだまさし氏の友人である柴田紘一郎先生の2年間に渡るアフリカでの活動を元に作られた名曲。
異国の地で何を思うか。人それぞれですがある種の寂寞とした感慨、そういったものは共通しているように思います。手ぶらで楽しめる人もいますが、こういう何か心を打つ言葉というものがふと湧いてくるのでしょう。
 柴田先生から聞いたお話から、「さだまさし」というフィルターを通し厳選された珠玉の言葉となり紡がれていったのだろう。

 昔、この歌を熱唱する先輩が大学にいました。いつも歌うのでまたかと思うのですが、今では彼の歌う力強い「風に立つライオン」が一番好きだと思っています。

 
 
 

2011年5月26日木曜日

原子力発電事故

海外にいる日本人同士で「原発」の本当の話をよくします。

これを国内にいる日本人に話すと

「じゃあどうすればいいんだよ」と逆切れされると仰っておられました。

ようやく事実が少しずつですが、現実味を帯びて出てきた感があります。

「人のうわさも75日」

政治家は日本人の特性である上記を多分に利用しているように感じます。

3月11日の事故から75日後に何が報道されたでしょうか。

「実は炉心融解が起こっていた」5月の報道です。

3月11日から75日後は、5月24日です。


75日経てば(大体一季節)日本人はさらりと受け入れてくれる。(諦観)



こんなことがさらり、とニュースで流されています。

これはもう馬鹿にされている以前の話です。

四季のある日本では、「夏」が過ぎて「秋」が来ればもう「夏」のクソ暑い日々など覚えていられないのです。

これはもう日本人の体にしみ込んだ、ぬぐえない「くせ」なのだと思います。不祥事を起こした政治家がなぜか「2ヶ月後」にまた再び現れるのも、もうお気づきだと思います。

体に染みついたこの習性のおかげで、僕たちは「実は炉心融解していた(その定義がどうであれ)」と75日後に言われれば、

「やっぱりね」と思ってしまう。

(75日×4(四季)=300日、間に2週間(衣替え)を足し算すれば300+14×4=356日=約一年)

それを受け入れてしまう恐ろしさ。これは海外に出て初めて心の底から実感しました。

僕がシンガポールに来た3月下旬は(たまたまなのだが)、ドミトリーは日本から逃げてきた外国人に会いました。

暴動も起こさず情報の拡散化を図った、という意味では、変な意味だけれど、この「75日後」政策は評価されるのかもしれない。



日本の将来を考えずにはいられません。


大切なことが、どうしてTVで報道されないのでしょうか。

北朝鮮の報道を笑っている我々の後ろに、我々を笑っている人達がいるのかもしれません。

自分の子供が、孫が、外部放射線被ばくをしながら、内部被ばくと闘いながら生きていくのでしょうか。


2011年5月23日参議院行政監視委員会における小出裕章氏の発言



学者生命を賭けた、掛け値なしの言葉です。

2011年4月30日土曜日

言葉




一日生きることは、一歩進むことでありたい。
~湯川秀樹


 
 
 
 
 

2011年4月27日水曜日

ピアノマン

「ピアノマン」

ビリー・ジョエル


ある土曜日の午後9時
バーはいつもの賑わい
隣に座っている老人は
ジントニックに首ったけ


彼が僕に話しかけるんだ
「おい坊や、思い出の一曲を弾いちゃくれないか。どんな曲だったかよくは思いだせないんだがな。切なくてそれでいて甘い曲なんだ。そらで歌えたもんだが、、俺が若い頃にはな」

ラララ、ディダダダ
ラララ、ディディダダ


(合唱)
俺たちのために歌を歌っておくれよ、あんたピアノ弾きだろ
今夜は俺達のために
なぁ、ここにいるみんないい気分なんだ
あんたのおかげだよ


バーで働いているジョンは僕の友達
僕にはただで飲ませてくれる
冗談も上手くて、煙草をくわえたらすぐ火をつけてくれる
けど、ここはかりそめの場所

彼は言うんだ
「なぁ、ビル。もうたまらんのさ、こんな仕事」
「わかっているんだ。俺だったら映画スターにでもなれると思うんだよ。この場所からさえ出ていくことができればね」
顔から笑顔が消え去って、彼はそう言ったんだ。


ラララ、ディダダダ
ラララ、ディディダダ


それからポール
彼は不動産屋で小説家
奥さんはずっと放ったらかしのまま
ディビィと話しこんでいる
彼はまだ海軍にいて
そして きっと たぶん これからもずっと


それから
ここのウェイトレスは政治学を勉強していて
横のサラリーマンはゆっくりと酔っ払いっていく
そうさ、みんな『孤独』という名の酒を酌み交わしているのさ
でも、一人で飲むよりよっぽどまし


(合唱)
俺たちのために歌を歌っておくれよ、ピアノ弾きなんだから
今夜は俺達のために
なぁ、ここにいるみんないい気分なんだ
あんたのおかげで今夜は上気分


いつもの土曜日にしては今夜は大繁盛
マネージャーが僕に微笑みかけてくれる
僕がいるからみんなここに集まってくれることを彼は知っているから
なによりも
ほんの束の間でも
自分の人生を忘れることが
ここではできるから

それからピアノがカーニバルのように鳴り響くんだ
マイクがビールみたいに匂うぐらいに

そして観客はバーに座り
僕にチップをくれるんだ
そして言うんだ
「ピアノ弾きさんよ、あんたなんでこんなところでぐずぐずしているんだい??」

ラララ、ディダダダ
ラララ、ディディダダ


(合唱)
俺たちのために歌を歌っておくれよ、あんたピアノ弾きだろ
今夜は俺達のために
なぁ、ここにいるみんないい気分なんだ
あんたのおかげだよ


急に訳したくなって、やってみました。

大好きな曲です。

2011年4月18日月曜日

只だ一燈を頼め


一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め

佐藤一斎 -「言志四録」
 
 
 
 
 
 

2011年3月18日金曜日

ありがとうございました。

本日国内からの最後のUPです。



短い間でしたが、この1年間たくさんの方に拝読していただき誠にありがとうございました。

大学の先生も多数見に来ていただいたようで、恥ずかしい限りですがこれも一つの一里塚と思い書きつづりました。

次回の更新はNNIからになるかと思います。

しばらくは慣れることに忙しくて大変かと思いますが、がんばってみます。

国難の真っ只中で異国に行くことはためらわれますが、自分の歩みだした道を全うするのが、今の自分にできることです。それが日本の国益につながると信じやっていく所存です。

次回はシンガポールからです。

みなさんと一里塚をともにできたことを、誇りに思います。

2011年2月25日金曜日

人生の縁

ネパールの山に登ったことがありまして。Annapurna Base Campで通称ABCというところです。そこにたどりつきシンガポール人4人と友達になりました。

いつか連絡をと思いつつ時が過ぎました。

ふと、Facebookで彼の名前を入力してみると、、、、

おられるではないですか!!!

そうそう、彼だ。

ABCから走るように山を下り、一緒に麓までタクシーを飛ばしたあの人です。

、、、なんか演奏している。。。

ここはどこだ、、、みたことがある。

実は、TTSHでした。

すごい偶然です。

自分が行く病院で彼はコンサートをひらいていました。

電話番号もいただいたのでシンガポールについたら連絡してみます。

人生は縁でつながっています。

嫌い、嫌い、いやだいやだというよりも、

つながりを楽しみいつくしむことを大切にしたいです。

2010年11月11日木曜日

名言

「100%の失敗とは
  やらないことである」


 
 -読み人知れずー



 先ほど投稿中の雑誌をon lineで確認したところ、

「With Editor」が

「Under Review」に変わっていた。

cover letterとかは通ったみたい。

これからだ。うまくいけばいいけれど。

2010年11月9日火曜日

名言

『求めよ、さらば与えられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん』





新訳聖書「マタイによる福音書」
 
 
 
 
 
 
 
    

2010年10月30日土曜日

今日見つけた言葉

喫茶店のトイレにかけてあったカレンダーに書いてあった言葉


「最初から特等席に座っている人には

人生の醍醐味は味わえない」



いろいろな意味にとれる言葉です。


特等席も、案外座り心地が悪いのかもしれません。

2010年10月2日土曜日

思い

singapore medical councilのHPを眺める。

1年前を思い起こす。

ただ呆然と見つめていた時間。つてもなく、コネもなく、何のつながりもない世界。

行ってみようかな、2009年10月のある日、ふとそう思った。


思う、願うということの、力の凄さよ。

筆舌に尽くしがたい出来事や、辛苦や困難や情念やそういった夾雑物さえ、飲み込んでしまうほどの喜び。

がむしゃらだったと思う。

夢中になれるものを人生で見つけられた。


僕とかかわった人達を、それこそブルドーザーのように、徹底的に幸せにしていきたい。

幸いなことに、両親に「他人の幸せ」を喜べるよう育てていただいた。医者として、欠かせない能力の一つを幸運にも授かったのだ。

 一人でできたことではなく、たくさんの方々のお世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。書類一枚でも、助言一つでも欠ければたどり着けなかった場所です。


 まだ道半ばですが、今日はこれから始まる旅の一里塚です。

 さあ、楽しい旅の始まりです。


機内に持っていく音楽
「1000のバイオリン」
「田園」
「青空」
「Mr.LONELY」
「メロディー」
「夕暮れ」
「情熱の薔薇」
「いいんですか」
「おしゃかさま」
「君という花」
「君の手」他

2010年8月18日水曜日

「微差力」



斉藤一人さんの「微差力」。

ふざけた名前で、ほかの本もかなりふざけた(?)タイトルが多いので、一見この人は頭のおかしい宗教家なのかと思うことがあると思います。


しかし、しかし。


これが本当にいいことが書いてある。


すべての本が、やや胡散くさい雰囲気を醸し出しているのですが、だまされたと思って読んでくださいな。

「散歩していて、富士山に登った人はいない」

「一番高い所に登るには、富士山に脚立を持っていけばいい」


当たり前のことばかり。この「脚立」の意味をちゃんと理解すると、物事がいい方向に向かいます。

非常に、practicalな本です。