こっちで臨床研究に従事しようと思ったら、CITIに登録しなければいけないとのこと。
https://www.citiprogram.org/Default.asp?
オンラインラーニングで1時間以上はしないといけない様子。
「しておいてね」と言われたが、それなりに勉強しないといけない。
とまあ、ようやく臨床研究の入口に立てたわけだから、まず第一歩です。
2012年3月27日火曜日
2012年2月26日日曜日
MRCS
予定よりかなり遅れてはいるものの、MRCS anatomyのUPPER LIMB終了。
LOWER LIMBはこれから終了予定。
MRCS ANATOMYがやっぱり一番効率的に解剖を覚えられる。
上肢の解剖によりSpineの理解がより深まりました。
今日はACLSが終了し、なんとか合格をいただきました。
LOWER LIMBはこれから終了予定。
MRCS ANATOMYがやっぱり一番効率的に解剖を覚えられる。
上肢の解剖によりSpineの理解がより深まりました。
今日はACLSが終了し、なんとか合格をいただきました。
2012年2月10日金曜日
neuro oncology conference
本日はシンガポールのneuro-oncology sessionがありました。トピックはlow grade gliomaにおける腫瘍摘出とその後の後療法のcontraversy、iMRIのRCT、5-ALA、photon therapyについてでした。
こういうアップデイト聞いておかないとすぐ忘れてしまいます。
講義形式の勉強会は可能な限り出るようにしています。座っているだけで最新の知識を得ることができるので、ずぼらな私には最高です。
国内のUPDATEをすぐ近くで聞けるのは小さな国のメリットですね。数は少ないですが、みんな頑張っておられます。
こういうアップデイト聞いておかないとすぐ忘れてしまいます。
講義形式の勉強会は可能な限り出るようにしています。座っているだけで最新の知識を得ることができるので、ずぼらな私には最高です。
国内のUPDATEをすぐ近くで聞けるのは小さな国のメリットですね。数は少ないですが、みんな頑張っておられます。
2012年2月9日木曜日
how to manage on-call?
Today on-call again.
Just a quiet night which I never experienced before. There are somehow so many cases in terms of head injuries.
I realize that generally speaking, Singapore is a safe country but also have some accidents which result in head injuries unfortunately...which may ring my mobile even in the midnight.
Hope, may Singapore stay in peace.
Just a quiet night which I never experienced before. There are somehow so many cases in terms of head injuries.
I realize that generally speaking, Singapore is a safe country but also have some accidents which result in head injuries unfortunately...which may ring my mobile even in the midnight.
Hope, may Singapore stay in peace.
2012年2月3日金曜日
救急外来へ向かう時
携帯が鳴り救急外来のTELが画面に現れる。
EDのMOがまくしたてるように患者の状態を早口で説明し始める。年齢・性別・国籍・既往歴・状態・画像所見・血圧。
患者IDを確認し目の前のPCで画像を確認する。
「今から行くよ」
そう言ってエレベータを下りて行く。提示された患者の状態を反芻し、これからやるべきことを知らず知らずリストアップして準備している自分に気づく。
特に週末の救急外来は大混雑をしている。トリアージナースが5つぐらいあるブースでひっきりなしに患者を診察し、トロリーがあらゆる廊下を駆け巡り、倉庫みたいにバカでかい発熱患者用のブースに何十人も患者が寝かされている。蘇生室はCPAの患者が運び込まれ、慣れた看護師と医師があっという間にstabilizeさせていく。policeが物々しい格好で患者に付き添い、SDFの救急車がサイレンと共に救急外来入口に到着する。
そんな中を一人蘇生処置室に向かって歩いていく。
緊張の時間。
日本でならできることも、ここではまだシステムに慣れていないために困難を伴うことが少なくない。FFPの用意、ICUとの交渉、家族との話合い、Ope場の準備とその適切な連絡。
色々な可能性を考えながら怒号飛び交う救急外来を通る。救急車が到着するメインロビーだけで体育館ぐらいの広さは十分ある。
英語は基本通じない患者が多い。ERにはたくさんの人種・国籍の人が来る。通訳はNsがしてくれる。英語で患者に質問し、Nsが訳し患者が答える。マレー語の時もあればマンダリンのこともある。
随分とシステムに慣れてきたのはあるけれど、この一人救急外来へと歩いていく時の想いはいつまでも忘れず持っていきたい。日本でやっている時とは根本的なところで異なった、また違う種類の覚悟が求められていることを痛感する日々。
同じアジア人として、出来ることをやっていきたい。少しずつ。
EDのMOがまくしたてるように患者の状態を早口で説明し始める。年齢・性別・国籍・既往歴・状態・画像所見・血圧。
患者IDを確認し目の前のPCで画像を確認する。
「今から行くよ」
そう言ってエレベータを下りて行く。提示された患者の状態を反芻し、これからやるべきことを知らず知らずリストアップして準備している自分に気づく。
特に週末の救急外来は大混雑をしている。トリアージナースが5つぐらいあるブースでひっきりなしに患者を診察し、トロリーがあらゆる廊下を駆け巡り、倉庫みたいにバカでかい発熱患者用のブースに何十人も患者が寝かされている。蘇生室はCPAの患者が運び込まれ、慣れた看護師と医師があっという間にstabilizeさせていく。policeが物々しい格好で患者に付き添い、SDFの救急車がサイレンと共に救急外来入口に到着する。
そんな中を一人蘇生処置室に向かって歩いていく。
緊張の時間。
日本でならできることも、ここではまだシステムに慣れていないために困難を伴うことが少なくない。FFPの用意、ICUとの交渉、家族との話合い、Ope場の準備とその適切な連絡。
色々な可能性を考えながら怒号飛び交う救急外来を通る。救急車が到着するメインロビーだけで体育館ぐらいの広さは十分ある。
英語は基本通じない患者が多い。ERにはたくさんの人種・国籍の人が来る。通訳はNsがしてくれる。英語で患者に質問し、Nsが訳し患者が答える。マレー語の時もあればマンダリンのこともある。
随分とシステムに慣れてきたのはあるけれど、この一人救急外来へと歩いていく時の想いはいつまでも忘れず持っていきたい。日本でやっている時とは根本的なところで異なった、また違う種類の覚悟が求められていることを痛感する日々。
同じアジア人として、出来ることをやっていきたい。少しずつ。
2012年1月16日月曜日
通訳を介した診察はいかがなものか。
通訳を介した診察はいかがなものか。
これが結構なんとかなるものである。
通訳を介していると、情報伝達能力はかなり落ちてしまうが、その分集約化した質問をすることになる。あらゆることを総動員してがんばってコミュニケーションを図るのである。
中国語はほとんど話せない。7割が中華系。中国語(標準語・マンダリン)を話せるとかなりのアドバンテージ。そこに福建語、広東語、さらには客家語なんか話せたら鬼にGolden Barなんである。
そしてマレー語やインドネシア語、タミル語などがあらゆるとところから聞こえてくる。
「理解できない言語が聞こえている」というのが当たり前の世界に入っていくのである。
そしてそれこそがシンガポールの醍醐味でもあるわけで。
あらゆる言語と人種と民族がそれぞれの区分を守り生活している。病院に入院すると、患者の名前プレートの横には「Language」という欄がある。Englishであったり、Hokkenであったり、Malayであったりする。その度に僕は通訳者のNsを探さないといけない。
今日など「マンダリンを話せるNsはいますか」と詰所で言うと、「あんたが話しなさいよ」と2度も違う場所で言われてしまった。
見た目中華系なんだけど、話せないものは仕方がない。諸アジアから来ている中華系医師はほとんど中国語が話せるので苦労はそんなにない。その上母国語の言語を習得しているので、大抵3カ国は普通に話せる。一フロアで言えば、たぶん7ヶ国語ぐらいには対応できるんじゃないだろうか。
こんな悩みは僕だけではない。インドから来た医師は中国語が話せなくてもちゃんと仕事をしている。インドネシアもそう。補完し合うことで成り立っている。
これが結構なんとかなるものである。
通訳を介していると、情報伝達能力はかなり落ちてしまうが、その分集約化した質問をすることになる。あらゆることを総動員してがんばってコミュニケーションを図るのである。
中国語はほとんど話せない。7割が中華系。中国語(標準語・マンダリン)を話せるとかなりのアドバンテージ。そこに福建語、広東語、さらには客家語なんか話せたら鬼にGolden Barなんである。
そしてマレー語やインドネシア語、タミル語などがあらゆるとところから聞こえてくる。
「理解できない言語が聞こえている」というのが当たり前の世界に入っていくのである。
そしてそれこそがシンガポールの醍醐味でもあるわけで。
あらゆる言語と人種と民族がそれぞれの区分を守り生活している。病院に入院すると、患者の名前プレートの横には「Language」という欄がある。Englishであったり、Hokkenであったり、Malayであったりする。その度に僕は通訳者のNsを探さないといけない。
今日など「マンダリンを話せるNsはいますか」と詰所で言うと、「あんたが話しなさいよ」と2度も違う場所で言われてしまった。
見た目中華系なんだけど、話せないものは仕方がない。諸アジアから来ている中華系医師はほとんど中国語が話せるので苦労はそんなにない。その上母国語の言語を習得しているので、大抵3カ国は普通に話せる。一フロアで言えば、たぶん7ヶ国語ぐらいには対応できるんじゃないだろうか。
こんな悩みは僕だけではない。インドから来た医師は中国語が話せなくてもちゃんと仕事をしている。インドネシアもそう。補完し合うことで成り立っている。
2012年1月9日月曜日
over the fence
ほんの少しまえに「over the fence」という題でちこっと言葉を紡いだ気がする。
Overしました。
そしたら、また違った景色でした。
海外には何度も行っています。ネパールもUSもドイツもカンボジアも。
でもずいぶんと違っていました。ローカルで働くということの視点、観光者ではない「私」としての関わり。
海外旅行できた異国とは随分と違う。
このある種の厳しさを、これからの日本人はどんどん感じて行くんだろうな。好むと好まざるとに関わらず。今までもそうであったように。
ひたすらに努力はしているものの、まだほんの少しも届いていない自分に溜息を一つ。
明日からまたがんばろう。
2012年1月4日水曜日
日本の医師免許はシンガポールで通用するか?
最近よく聞かれることがあります。
「日本の医師免許はシンガポールで通用するのか?」
答えはYesです。
運転免許証と一緒です。書き換えができたら通用します。持っていない人は書き換えすらできません。
ただ、運転免許証と違うのは、書き換えがとてつもなく困難だということです。
「シンガポールで医者になれますか?」という質問に対しては、
「なれます」と答えます。
ただ「どんな医者になりたいですか」という付記がつきます。
日本と同じレベルで仕事をしたいのであれば、それは大変な道のりです。まず英語の問題があります。
また日本の専門医は通用しません。日本の専門医制度は日本語というローカル言語で行われた試験ですから、日本ローカルでしか通用しないのは当然の話です。
日本・シンガポール医師互換制度を利用してシンガポール国内で医師をすることは可能です。ただしGP、日本人診察に限られます。GP登録なのでOpeはできません。
なので、「シンガポールで医師をしたい」と言っても、「どんな内容の仕事がしたいのか」に大きく準拠することになります。
例えば、日本に片言の日本語しか話せないアメリカ専門医がいても、ちょっと困りますよね。手術がいくらできるといっても、結局は共通言語を話せないと仕事にはなかなかなりません。家族への説明・同意書へのサイン・他科とのコンサルト・回診・薬剤選択・Ope場の手配等々。
でも楽しいですよ。多くの人種の中で様々な文化的葛藤を垣間見ながら仕事をしています。
「日本の医師免許はシンガポールで通用するのか?」
答えはYesです。
運転免許証と一緒です。書き換えができたら通用します。持っていない人は書き換えすらできません。
ただ、運転免許証と違うのは、書き換えがとてつもなく困難だということです。
「シンガポールで医者になれますか?」という質問に対しては、
「なれます」と答えます。
ただ「どんな医者になりたいですか」という付記がつきます。
日本と同じレベルで仕事をしたいのであれば、それは大変な道のりです。まず英語の問題があります。
また日本の専門医は通用しません。日本の専門医制度は日本語というローカル言語で行われた試験ですから、日本ローカルでしか通用しないのは当然の話です。
日本・シンガポール医師互換制度を利用してシンガポール国内で医師をすることは可能です。ただしGP、日本人診察に限られます。GP登録なのでOpeはできません。
なので、「シンガポールで医師をしたい」と言っても、「どんな内容の仕事がしたいのか」に大きく準拠することになります。
例えば、日本に片言の日本語しか話せないアメリカ専門医がいても、ちょっと困りますよね。手術がいくらできるといっても、結局は共通言語を話せないと仕事にはなかなかなりません。家族への説明・同意書へのサイン・他科とのコンサルト・回診・薬剤選択・Ope場の手配等々。
でも楽しいですよ。多くの人種の中で様々な文化的葛藤を垣間見ながら仕事をしています。
2011年12月24日土曜日
2011年12月9日金曜日
世界共通の哀しみ
病気で親を失う。子を失う。
私達にとっては患者である人は、ある人にとって「お母さん」であり「娘」である。
手を取り涙を流しながら耳元で何かをささやいている。昔の楽しい想い出話しかもしれない。
あるいは、ただただまだ残る手の温かさを確かめているのかもしれない。
Bad Newsを伝えて泣き崩れる。
人種も民族も言語もなく、そこには病院という同じ舞台の上で繰り広げられるドラマがあって、僕はどこの国にもある、どこにでもある、当たり前で、当たり前ではない、深く深く果てしない愛情の泉があることを知る。
マンダリンでわからないはずなのに、ほとんど一字一句たがわず理解できている自分に驚く。
人が失われる哀しみに国境はないのだと、あまりに当たり前のことを、見て心の奥深くに刻みこんだ。
私達にとっては患者である人は、ある人にとって「お母さん」であり「娘」である。
手を取り涙を流しながら耳元で何かをささやいている。昔の楽しい想い出話しかもしれない。
あるいは、ただただまだ残る手の温かさを確かめているのかもしれない。
Bad Newsを伝えて泣き崩れる。
人種も民族も言語もなく、そこには病院という同じ舞台の上で繰り広げられるドラマがあって、僕はどこの国にもある、どこにでもある、当たり前で、当たり前ではない、深く深く果てしない愛情の泉があることを知る。
マンダリンでわからないはずなのに、ほとんど一字一句たがわず理解できている自分に驚く。
人が失われる哀しみに国境はないのだと、あまりに当たり前のことを、見て心の奥深くに刻みこんだ。
2011年12月4日日曜日
2011年11月29日火曜日
EP in principleと医師登録
In-principle EPを持って入国審査OK。Embarkment Cardは記入しないといけなかった。事前にしといてよかった。ほんちゃんのEPが出るまではいるわけですね、ふむふむ。前にも経験したくせにもう忘れている。手続きなんてそんなものなのかもしれません。
いよいよSMC登録とEP発行。In-Principle(原理上)は発行されているので事実上の労働ビザでの入国と相成りました。
このIn-principleというのはこの種の手続きをして初めて知った単語。他の国でも使われているんだろうけれど、まぁ海外で労働従事する人以外はお目にかからない書類なんでしょう。ちらっとネットサーフィン(古いか)したらニュージーランドの例がいくつかちらほら。
これからClarke QuayのMOM行って、写真撮って、指紋とられて、なんだかんだしないといけない。
シンガポール留学・臨床への道も佳境に入ったようです。
なんだかんだと2年近く続けていたブログ。
この題でのブログは一旦終了でもいいのかな、と前々から思っておりました。
臨床留学に興味がある人は、どんどん来ていただいたらいいかと思います。
メールいただいたら多少お手伝いできることはあるかと思います(多少です。99%は自分でやることばかりです)。
いよいよSMC登録とEP発行。In-Principle(原理上)は発行されているので事実上の労働ビザでの入国と相成りました。
このIn-principleというのはこの種の手続きをして初めて知った単語。他の国でも使われているんだろうけれど、まぁ海外で労働従事する人以外はお目にかからない書類なんでしょう。ちらっとネットサーフィン(古いか)したらニュージーランドの例がいくつかちらほら。
これからClarke QuayのMOM行って、写真撮って、指紋とられて、なんだかんだしないといけない。
シンガポール留学・臨床への道も佳境に入ったようです。
なんだかんだと2年近く続けていたブログ。
この題でのブログは一旦終了でもいいのかな、と前々から思っておりました。
臨床留学に興味がある人は、どんどん来ていただいたらいいかと思います。
メールいただいたら多少お手伝いできることはあるかと思います(多少です。99%は自分でやることばかりです)。
2011年11月9日水曜日
approval from SMC
長い時間でした。
Clinical Observership終了からはや数カ月。
今日メールで
「医師免許申請承認」
をいただきました。
TOEFLも課題点を越え、あとは書類審査だけだったのですが、これもどうやら無事通過したようです。
これでシンガポールでの臨床留学に関する一通りの線路を通ったことになります。
こういう風に欧米だけでなくアジアを見据えた方は少ないのだろうなと思っていましたが、この11月にまた別の日本人医師の方が来られることになっています。
私がシンガポールを目指したのはやはりアジアに魅かれていた、ということが一番なのですが、もしかしたらこういう想いや風潮というものは、あるきっかけを境に、同時多発的に起こるのではないかなと考え始めています。
もちろんそれは、僕がこの半年でシンガポールに向かう多くの日本人に会ったことも影響しているのだと思います。観光ではなく、就職としてここを訪れる人の多さに驚きました。
なぜシンガポールを選んだのか。多くの人が尋ねます。
「いくなら、絶対アメリカやろ???」と真顔で言われたこともあります。無言で笑うしかできませんでした。
あえて言語化するならそれは
いわく言い難い衝動
としか言えないような気がします。年齢的に決して若くなく、かといって歳をとっているわけでもない30代半ばの人間が何かに挑戦する。真正面から罵られたこともありますが、その言葉を受け入れるしかありませんでした。むしろ、真正面から言ってくれたことに、今は感謝しています。
今TOEFLも終えて思います。
もっと勉強しておけばよかった
もちろん一般的な医師に比べたらかなり英語を意識的に勉強してきたほうだとは思うのですが、学生時代にUSMLEを受験されたりしている医学生達を見ていると脱帽します。もちろん、その先にあるものは思っていたものと違うことも多いとは思いますが。
なんとか一つのヤマを越えたようです。どこの国も公的手続きと言うのは長くかかるもののようです。
長かった。
Clinical Observership終了からはや数カ月。
今日メールで
「医師免許申請承認」
をいただきました。
TOEFLも課題点を越え、あとは書類審査だけだったのですが、これもどうやら無事通過したようです。
これでシンガポールでの臨床留学に関する一通りの線路を通ったことになります。
こういう風に欧米だけでなくアジアを見据えた方は少ないのだろうなと思っていましたが、この11月にまた別の日本人医師の方が来られることになっています。
私がシンガポールを目指したのはやはりアジアに魅かれていた、ということが一番なのですが、もしかしたらこういう想いや風潮というものは、あるきっかけを境に、同時多発的に起こるのではないかなと考え始めています。
もちろんそれは、僕がこの半年でシンガポールに向かう多くの日本人に会ったことも影響しているのだと思います。観光ではなく、就職としてここを訪れる人の多さに驚きました。
なぜシンガポールを選んだのか。多くの人が尋ねます。
「いくなら、絶対アメリカやろ???」と真顔で言われたこともあります。無言で笑うしかできませんでした。
あえて言語化するならそれは
いわく言い難い衝動
としか言えないような気がします。年齢的に決して若くなく、かといって歳をとっているわけでもない30代半ばの人間が何かに挑戦する。真正面から罵られたこともありますが、その言葉を受け入れるしかありませんでした。むしろ、真正面から言ってくれたことに、今は感謝しています。
今TOEFLも終えて思います。
もっと勉強しておけばよかった
もちろん一般的な医師に比べたらかなり英語を意識的に勉強してきたほうだとは思うのですが、学生時代にUSMLEを受験されたりしている医学生達を見ていると脱帽します。もちろん、その先にあるものは思っていたものと違うことも多いとは思いますが。
なんとか一つのヤマを越えたようです。どこの国も公的手続きと言うのは長くかかるもののようです。
長かった。
2011年10月6日木曜日
TOEFLと医師登録
長らく更新が途絶えていました。ようやくTOEFLが合格点に達しビザ申請更新ができそうです。
最終的に101点となりました。以前のスコアを確認すると73点!!なんとまぁ低いのでしょう。これで100オーバーを狙っていたのがすごいなぁと我ながら感心します。楽観的なのもそれなりに効果はあるようです。
そもそも留学を目指す人はこういうスコアを学生時代に目指すんでしょうね。実際試験場でお会いした人のほとんどが20代と見受けました。中にはこなれた40-50代の方もおられましたが、雰囲気が講師という感じでしたのでまた意味が違うかと思います。一番年齢が低い人で中学生ぐらいが受けていました。小学生はさすがに見かけませんでしたが(中国では結構いるようです)。
これからClinical Associateのビザ申請を行い登録申請が下りれば晴れてシンガポール医師免許獲得ということになります。他科を別にすればこの分野では初めての日本人医師なので、やってみた甲斐はあったのかなと思います。ボスにも早く来なさいとメールで督促をいただきました。
医師のビザというものは本当に厄介です。ビザ発行の最低条件が医師登録であり、医師登録のためにはそれなりの大変な道が待ち受けています。
結局私は2年半かかりました。
そういうものなのでしょう。海外に本気で行くということは。
これからです。これからがもっと大変なのだと思います。
ただ、少し時間がありお世話になっているお寺さんで座禅をさせていただく機会に恵まれました。泊まり込みの座禅でしたのでそれなりにキツいものです。そこでさまざまな方と出会うことができました。狭い世界ですので、他の職種の方としっかりとお話する機会がなく大変貴重な時間でした。
最終的に101点となりました。以前のスコアを確認すると73点!!なんとまぁ低いのでしょう。これで100オーバーを狙っていたのがすごいなぁと我ながら感心します。楽観的なのもそれなりに効果はあるようです。
そもそも留学を目指す人はこういうスコアを学生時代に目指すんでしょうね。実際試験場でお会いした人のほとんどが20代と見受けました。中にはこなれた40-50代の方もおられましたが、雰囲気が講師という感じでしたのでまた意味が違うかと思います。一番年齢が低い人で中学生ぐらいが受けていました。小学生はさすがに見かけませんでしたが(中国では結構いるようです)。
これからClinical Associateのビザ申請を行い登録申請が下りれば晴れてシンガポール医師免許獲得ということになります。他科を別にすればこの分野では初めての日本人医師なので、やってみた甲斐はあったのかなと思います。ボスにも早く来なさいとメールで督促をいただきました。
医師のビザというものは本当に厄介です。ビザ発行の最低条件が医師登録であり、医師登録のためにはそれなりの大変な道が待ち受けています。
結局私は2年半かかりました。
そういうものなのでしょう。海外に本気で行くということは。
ただ、少し時間がありお世話になっているお寺さんで座禅をさせていただく機会に恵まれました。泊まり込みの座禅でしたのでそれなりにキツいものです。そこでさまざまな方と出会うことができました。狭い世界ですので、他の職種の方としっかりとお話する機会がなく大変貴重な時間でした。
2011年5月29日日曜日
2011年5月22日日曜日
SMS me
時代とともに英語のありようが変わることを初めて実感した単語。
「SMS me!!」である。
最初なんのことかわからなかった。かかってきた電話にいつもそう答えている同僚がいた。その後メールが届く。つまり「ショートメールで連絡してくれ」と言っているのだ。
一昔前は
「Page me」だったのに、まあ携帯が普及したことでSMSになったのだろう。
患者の相談も、いわゆる「Blue letter」もそうやってSMSされていく。
時代はかわるものだ。
ただ、TELよりも、言った言わないが少ないので医療には向いていると思った。ちなみに機種とかは関係なく誰とでもできます。携帯番号があれば。
SMSとは
ショートメッセージサービス「Wikipedia」
「SMS me!!」である。
最初なんのことかわからなかった。かかってきた電話にいつもそう答えている同僚がいた。その後メールが届く。つまり「ショートメールで連絡してくれ」と言っているのだ。
一昔前は
「Page me」だったのに、まあ携帯が普及したことでSMSになったのだろう。
患者の相談も、いわゆる「Blue letter」もそうやってSMSされていく。
時代はかわるものだ。
ただ、TELよりも、言った言わないが少ないので医療には向いていると思った。ちなみに機種とかは関係なく誰とでもできます。携帯番号があれば。
SMSとは
ショートメッセージサービス「Wikipedia」
2011年5月2日月曜日
終章
みなさまご閲覧ありがとうございます。
日本を離れるときから思っていたことではあるのですが、このブログの継続についてです。留学までの経過を綴っていきましたが(それは決して平たんなものではありませんでしたが)、今病院で臨床を始め、違う環境の中でそれなりにやっていくことができ始めました。
これもみなさんからの温かい言葉のお陰だと考えております。
日本を離れ今思っているのですが、このブログもそろそろ役目を終え始めているのではないかと感じ始めました。
このブログを通じて知り合えた多くの方々と、これからも歩んでいきたいと思います。
「シンガポール留学・臨床への道」は自己の軌跡でありますが、個人的に留学を希望される方の少しでも助けになればと続けておりました。
現在も過去の記述が参考できますし、CVの作成や書類の用意の仕方などはある程度記載していると思います。必要な方はご参照ください。
いままでたくさんの方に訪れていただきました。本当にありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。
個人的に知り合いの方も多くいるかと思います。学会等でみかけたら気軽にお声をかけていただけましたら幸甚です。
1年間お付き合いいただきありがとうございました。
また違う形で続けることができるかもしれません。その時はまたよろしくお願いいたします。
時間だけはどなたにも平等に分け与えられています。いつ終わるかわからないという点でも平等です。シンガポールでサバイバルです。
日本を離れるときから思っていたことではあるのですが、このブログの継続についてです。留学までの経過を綴っていきましたが(それは決して平たんなものではありませんでしたが)、今病院で臨床を始め、違う環境の中でそれなりにやっていくことができ始めました。
これもみなさんからの温かい言葉のお陰だと考えております。
日本を離れ今思っているのですが、このブログもそろそろ役目を終え始めているのではないかと感じ始めました。
このブログを通じて知り合えた多くの方々と、これからも歩んでいきたいと思います。
「シンガポール留学・臨床への道」は自己の軌跡でありますが、個人的に留学を希望される方の少しでも助けになればと続けておりました。
現在も過去の記述が参考できますし、CVの作成や書類の用意の仕方などはある程度記載していると思います。必要な方はご参照ください。
いままでたくさんの方に訪れていただきました。本当にありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。
個人的に知り合いの方も多くいるかと思います。学会等でみかけたら気軽にお声をかけていただけましたら幸甚です。
1年間お付き合いいただきありがとうございました。
また違う形で続けることができるかもしれません。その時はまたよろしくお願いいたします。
時間だけはどなたにも平等に分け与えられています。いつ終わるかわからないという点でも平等です。シンガポールでサバイバルです。
2011年4月18日月曜日
I never run away from free meal
2011年3月18日金曜日
ありがとうございました。
2011年3月15日火曜日
仕事納め
有給をいただきました。
といっても残務処理です。患者の診断書を書いています。
長い、長い、あっという間の時間でした。
どんなつらい思い出も、時間は楽しい思い出に変えてくれます。
時間が解決してくれます。
ここでの2年間を後悔することはありません。
シンガポール行きのチケットをくれた場所だから。
新しい時間を提供してくれた場所。
何物にも負けず、つぶれず、くさらず、やってこれたのだから。
今日明日で外来を整理します。そうして旅立ちです。
シンガポール留学・臨床への道は第二幕を迎えます。
日本人脳神経外科初と言えばおこがましいですが、がんばってまいります。
一人医長の時間は大切な時間でした。
シンガポールが新しい舞台です。これがおそらく、この病院から書く最後のブログです。
この病院は私を持って常勤廃止となります。
この半年、その対応に心が何度も折れそうになりました。
最後には親戚のCPAにも偶然立ち会いました。septic shockでもうだめかと思いましたが、ショックだけはリカバーさせることができました。奇縁ですが最後の最後で「患者側」と「医者側」に立つことになりました。神様もオツな演出をするものです。「患者」として病院の「待合室」に座ることの本当の意味や辛さや悲しみを、最後の最後で教えていただきました。
一生忘れない出来事です。
思い出の詰まった場所ですが、サヨナラの時間です。
次はシンガポールからでしょうか。まだ決めていません。
追伸:被災された方々には心より追悼申し上げます。自分のできる場所でできることをし尽くす。それが私のできることです。
といっても残務処理です。患者の診断書を書いています。
長い、長い、あっという間の時間でした。
どんなつらい思い出も、時間は楽しい思い出に変えてくれます。
時間が解決してくれます。
ここでの2年間を後悔することはありません。
シンガポール行きのチケットをくれた場所だから。
新しい時間を提供してくれた場所。
何物にも負けず、つぶれず、くさらず、やってこれたのだから。
今日明日で外来を整理します。そうして旅立ちです。
シンガポール留学・臨床への道は第二幕を迎えます。
日本人脳神経外科初と言えばおこがましいですが、がんばってまいります。
一人医長の時間は大切な時間でした。
シンガポールが新しい舞台です。これがおそらく、この病院から書く最後のブログです。
この病院は私を持って常勤廃止となります。
この半年、その対応に心が何度も折れそうになりました。
最後には親戚のCPAにも偶然立ち会いました。septic shockでもうだめかと思いましたが、ショックだけはリカバーさせることができました。奇縁ですが最後の最後で「患者側」と「医者側」に立つことになりました。神様もオツな演出をするものです。「患者」として病院の「待合室」に座ることの本当の意味や辛さや悲しみを、最後の最後で教えていただきました。
一生忘れない出来事です。
思い出の詰まった場所ですが、サヨナラの時間です。
次はシンガポールからでしょうか。まだ決めていません。
追伸:被災された方々には心より追悼申し上げます。自分のできる場所でできることをし尽くす。それが私のできることです。
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