病気で親を失う。子を失う。
私達にとっては患者である人は、ある人にとって「お母さん」であり「娘」である。
手を取り涙を流しながら耳元で何かをささやいている。昔の楽しい想い出話しかもしれない。
あるいは、ただただまだ残る手の温かさを確かめているのかもしれない。
Bad Newsを伝えて泣き崩れる。
人種も民族も言語もなく、そこには病院という同じ舞台の上で繰り広げられるドラマがあって、僕はどこの国にもある、どこにでもある、当たり前で、当たり前ではない、深く深く果てしない愛情の泉があることを知る。
マンダリンでわからないはずなのに、ほとんど一字一句たがわず理解できている自分に驚く。
人が失われる哀しみに国境はないのだと、あまりに当たり前のことを、見て心の奥深くに刻みこんだ。
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