通訳を介した診察はいかがなものか。
これが結構なんとかなるものである。
通訳を介していると、情報伝達能力はかなり落ちてしまうが、その分集約化した質問をすることになる。あらゆることを総動員してがんばってコミュニケーションを図るのである。
中国語はほとんど話せない。7割が中華系。中国語(標準語・マンダリン)を話せるとかなりのアドバンテージ。そこに福建語、広東語、さらには客家語なんか話せたら鬼にGolden Barなんである。
そしてマレー語やインドネシア語、タミル語などがあらゆるとところから聞こえてくる。
「理解できない言語が聞こえている」というのが当たり前の世界に入っていくのである。
そしてそれこそがシンガポールの醍醐味でもあるわけで。
あらゆる言語と人種と民族がそれぞれの区分を守り生活している。病院に入院すると、患者の名前プレートの横には「Language」という欄がある。Englishであったり、Hokkenであったり、Malayであったりする。その度に僕は通訳者のNsを探さないといけない。
今日など「マンダリンを話せるNsはいますか」と詰所で言うと、「あんたが話しなさいよ」と2度も違う場所で言われてしまった。
見た目中華系なんだけど、話せないものは仕方がない。諸アジアから来ている中華系医師はほとんど中国語が話せるので苦労はそんなにない。その上母国語の言語を習得しているので、大抵3カ国は普通に話せる。一フロアで言えば、たぶん7ヶ国語ぐらいには対応できるんじゃないだろうか。
こんな悩みは僕だけではない。インドから来た医師は中国語が話せなくてもちゃんと仕事をしている。インドネシアもそう。補完し合うことで成り立っている。
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