2011年5月26日木曜日

原子力発電事故

海外にいる日本人同士で「原発」の本当の話をよくします。

これを国内にいる日本人に話すと

「じゃあどうすればいいんだよ」と逆切れされると仰っておられました。

ようやく事実が少しずつですが、現実味を帯びて出てきた感があります。

「人のうわさも75日」

政治家は日本人の特性である上記を多分に利用しているように感じます。

3月11日の事故から75日後に何が報道されたでしょうか。

「実は炉心融解が起こっていた」5月の報道です。

3月11日から75日後は、5月24日です。


75日経てば(大体一季節)日本人はさらりと受け入れてくれる。(諦観)



こんなことがさらり、とニュースで流されています。

これはもう馬鹿にされている以前の話です。

四季のある日本では、「夏」が過ぎて「秋」が来ればもう「夏」のクソ暑い日々など覚えていられないのです。

これはもう日本人の体にしみ込んだ、ぬぐえない「くせ」なのだと思います。不祥事を起こした政治家がなぜか「2ヶ月後」にまた再び現れるのも、もうお気づきだと思います。

体に染みついたこの習性のおかげで、僕たちは「実は炉心融解していた(その定義がどうであれ)」と75日後に言われれば、

「やっぱりね」と思ってしまう。

(75日×4(四季)=300日、間に2週間(衣替え)を足し算すれば300+14×4=356日=約一年)

それを受け入れてしまう恐ろしさ。これは海外に出て初めて心の底から実感しました。

僕がシンガポールに来た3月下旬は(たまたまなのだが)、ドミトリーは日本から逃げてきた外国人に会いました。

暴動も起こさず情報の拡散化を図った、という意味では、変な意味だけれど、この「75日後」政策は評価されるのかもしれない。



日本の将来を考えずにはいられません。


大切なことが、どうしてTVで報道されないのでしょうか。

北朝鮮の報道を笑っている我々の後ろに、我々を笑っている人達がいるのかもしれません。

自分の子供が、孫が、外部放射線被ばくをしながら、内部被ばくと闘いながら生きていくのでしょうか。


2011年5月23日参議院行政監視委員会における小出裕章氏の発言



学者生命を賭けた、掛け値なしの言葉です。

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