最近家族説明をすることが増えてきた。
いや、全面的にやっている。
そうなると、日本では考えられもしなかったことがたくさん起こってくる。
人類みな兄弟とはよく言ったものだが、
やっぱり民族や宗教、国籍によって考え方もとらえ方も全然違う。
当たり前だろ、と言われればその通り。しかし現実にその壁にぶつかっていくとなると、「人それぞれ」では終わらない。
話せばわかる、という部分と、話しても分からないという部分。
思った以上に分かりあえる部分。そういった「落とし所」をそれぞれに試行錯誤しながら会話を進めていく。
日本ではほとんどなかった海外転院搬送が日常のように起こり、国境を越えて患者が運び込まれてくる。
僕が心掛けていること。
それは、
「日本でやってきた気遣いをそのままする」
ということ。
いつものように説明を終え部屋から出ると、麻酔科のインド人から言われた言葉。
「お前の説明はvery impressiveだ。初めてだよ。うん、良かった」と言ってもらえた。
うれしかったのはもちろんなのだけれど、ちゃんと家族にも伝わっていたのが嬉しい。心の機微や琴線のありようは国によって違うけれど、まったく通じないというものでもない。
相互理解という幻想に絶望しながら、それでも時に信じ貫くのならば、ある程度道は開けるのではないか。そう今は信じている。
一方で、盲信してはならないと危惧する。机上の相互理解は、日本以外では通用しないと覚悟したほうがいいと思う。
海外で財布からお金を出すのは簡単。
海外で財布にお金を入れてもらうのは、、、、。もう誰もニコニコはしてくれない。お金を出してくれるから、下手な英語も聞いてくれていた、ということを痛感する。
「お前ではわからないから、変われ」と言われるくやしさや、苦しみは、たぶん若いうちでしか我慢できないのかもしれない。そうやって多くの駐在員が、日系会社であるにもかかわらず鬱になっていくことが少なからずある。今まで出来ていた仕事が、語学力のためだけに「子供扱い」されるからだ。
実際会議についていけないから、仕事にもならない。僕らで言えば、カンファレンスについていけなければ、話にならない。
ほんの少し前まで、僕もそうで、カンファレンスでなにを言っているのか分からなかった。特に数字が分からない。バカみたいに聞こえるだろうけれど、「6」「8」「1」とかタタタっと言われると、頭がついていかない。15mgと50mg、500mlと510ml。そういう違いを瞬時に聞きとれるようになるまで、数カ月以上かかった。
まだまだ。。まだまだ。
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