2012年4月30日月曜日
日本
日本を離れて一年
日本の状況やら現状やらが肌身で感じなくなったこの頃。
そしてそれもまたよしと思っている自分。
3月11日から日本は何を選択したのだろうか。
個々人はなにを選んだんだろうか。
日本社会の不思議さは、こちらに来てより明確に認識できるようになった。
どちらがいいとかではない、明瞭な日本社会という枠を持った概念の把握。
漠然とした不安感と、変わりない日常。
今まで内包されていた問題が顕在化した3月11日以降も、日本に帰るたびに思う。
あぁ、なにも変わらなかったんだと。
一つ一つの事象ではなく、何千年と積み上げられてきた、季節の繰り返しの中で生きていく日本人のありようは、変わらないのだ。
それは好むと好まざるとに関わらず、事実なんだと思う。嘘だと思ったら、昨日と今日を比べてみればいい。それだけのこと。
募金や消費税増税や原発全稼働中止やそういう個々事象ではなく、それらを決定たらしめる総意というものの形成過程が、まったく変わらなかったのだと思う。
武田氏はこれを「空気的事実による議論」と看破している。
この「空気的事実」を受け入れられない日本在住者は、いつしかその埒外に立たされ、あるいは海外へと流れていくことになる。
「それが当然でしょ」ということが言える雰囲気を形成している日本社会のあり様は、多大な強制力を持ってその事実にいびつさを感じる人々を追い込んでいく。
日本という国が、どうしようもないくらい好きだ。豊かな国だと思う。
税金もすでにほとんど払っていない在外日本人としては、税金を支払い続け在住している日本人にその行く末を託すしかない。住んでいる場所のことは、自分達で決めなければならない。
軍隊のこと。国境のこと。国籍のこと。将来のこと。
自分の払った税金でどう国を維持・運用・保守・保全していくのか、やっぱりお金を出している人達が決めたらいいと思う。
属人主義的方針を日本政府が導入するかもしれない、という噂を小耳にはさんだ。
日本が好きであることと、日本国が好きであることの乖離がこれからどんどん大きくなってくるような気がする。まだわからないのだけれど。
住んでいる日本国籍在住者は、どう感じているんだろう。
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