2010年11月24日水曜日

安堵感と不安感のアンビバレンス

 シンガポール留学が決定して1カ月。昨日は向こうのBossにもロビーであいさつできました。シンポジストだったので、講演も聴きに行きました。

 あの激動のように作り上げた準備の時間。

 それが終わりました。

なんだ、この安堵感と不安感は。。

いわく言い難い感覚。

思い切って、仲良しの先生(といっても随分上の先生ですが)に打ち明けてみました。

「あら、何言っているのあなた。そうに決まっているじゃない。あのねぇ、あなたは今ね、SAHで言ったら動脈瘤が『クリンクリン』になったところなの。瘤が見えるまでは、あせって万全の態勢でやってたのよ。でもね、クリンクリンになって、もうクリップかけていいんだってなったらね、あなた、次は『こうすればうまくいくかな』とか『このクリップにしようかな』とか考えるでしょ。今のあなたは、そーゆー状態なの。わかった?」

すとんと腹に落ちました。

安全なわけでもないけれど、見えたということです。ここまで明快に説明してくれたmentorに感謝。それは裏を返せばまだクリップはしていない、ということです。


話してみる、ということはとても大切なことです。違った角度から批判や批評を得ることができるからです。

「怒らないこと」にもいいことが書いてありました。

「怒り」について、もっとも大切なことの一つが、『自分は怒りを感じている』ことを感じることなんだそうです。そして「怒り」を感じている時はどうなるのか。


それは、視界が少し暗くなるのがサインです。言われてみればそうかもしれません。怒りを感じている時、周りが見えなくなります。自分の視界が狭く、暗くなっていたら、「自分は怒り・苛立ちに支配されかかっている」と認識することが大切なんだそうです。

その通りだと思います。

視界が狭くなっている時は、信頼できる人に話をする、というのは大切なことです。怒りだけに限りません。そうやって、私は随分多くの人に助けられてきました。

怒っている人に、誰も近づこうとはしません。

仕事中は威厳が保てるかもしれません。でも歳を取ったら、退職したら、、、。怒っている人は、誰も相手にはしません。なぜなら私自身そういう人を相手にしたくないからです。

不安の話をしていたのに、「怒り」の話になってしまいました。

「怒らないこと2」にはたくさんの知恵があります。

人間はそもそも「怒っているのだ」という認識から始めること。それをまず認めること。

たくさんの本を読んできましたが、この本はかなりいい影響を与えてくれました(特に一巻)。まず、怒っている人・意地悪な人を冷静に観察するようになりました。彼らの多くは相手を同じ土俵に乗せようとします。まずこの段階から外れることができるようになりました。まだ時々いらいらから怒りが生まれることもありますが(笑)。

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