書評
自己啓発本の中でも異色の小説型ドラマツルギーを展開されている、一昔前に流行った本です。
内容はすでに述べられているものばかりなのでこの手のものとしては「要約本」として読まれる方も多かったのではないでしょうか。
それでもこの手の本が売れ続ける理由も記載されています。
それは言葉にするととっても簡単なことなのですが、
「実行する人が極めて少ない」ということです。
・靴を磨く
・参拝する
・毎日感謝する
・人の成功をサポートする
・トイレを掃除する
等です。
どれもこれも当たり前っちゃあ当たり前のことなのですが、意識していないとつい忘れてしまうことだと思います。特にトイレを掃除する、というのはなかなか手を出せない人が多いかもしれません。僕は最近やるように、いや、やれるようになりました。
なぜこういうことが大切なのか。
結局、「なぜトイレが汚くなっているのか」という当たり前のことに気づくのです。
つまり、汚しているのは自分です。
臨済宗では自鉢(じはつ:修行中の雲水各自が持つ自分の器)をお湯で洗います。たくあんを一つ残し、そのタクアンを巧みに使い器の内側を拭いていきます。
そして洗ったお湯をどうするか。飲むのです。ごっくりと。
汚いなぁと思う人がほとんどです。でもなぜ汚いのか。なぜ自分の食べ終わったものが汚いのか。
それはまぎれもない、自分がきたなく食べているからです。器を汚しているからです。
慣れた人はそもそも器を汚さずに食べます。
そういう「己」を知る術がいたるところに、それは「仕掛け」のように張り巡らされているのを感じました。
トイレを掃除する。別に始めるのに動機が不純でもいいと思います。
そーゆーとってもシンプルなことを再認識させられる本でした。
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