2011年5月15日日曜日
TIME/ BIN LADEN
TIMEがBIN LADENに対する特集号を組んでいる。非常に印象的な表紙。顔写真に朱色のバツがつけられている。その表紙がすべてを物語る。存在の否定。
かつてTIMEでこの「朱色のバツ」をつけられた人物はビンラディンを含め4人いる。ビンラディンは4人目ということになる。
2011年5月1日、イスラム教を信じる父を持つバラク・フセイン・オバマ大統領が演説する。
「 Justic has been done」
なんというIronicalでsynonymicalなことだろうと思う。ObamaとOsama。かつては、いや今もだけれど、隠れイスラムではないかと言われているこの人物が、世界でもっとも大きな国家のひとつであるアメリカ合衆国を代表しているとは。初のBlack Americanである大統領が支持した歴史的作戦。それがこのオサマ・ビン・ラディン殺害だったのだ。
くしくも66年前の5月1日、ある人物の死が世界中を駆け巡っている。それはだれもが知る人物で、evilの代表として今も映画等で描かれ、非難され、ある場所においては崇拝的尊敬を受けている人物。近現代史を学んだものなら知らぬもののない名が挙げられ、人々はそのcoincidenceに息をのむことだろう。
アドルフ・ヒトラーである。
ナチズム=ヒトラー、ビンラディン=テロリズムの構図の中で、誰もがその死亡ニュースの偶然性に驚く。でも本当にそうだろうか。
歴史は動かせない。動かせるのは未来。テロリズム、ナチズムの構図を嫌がうえでも思いだしてしまうこの5月1日という偶然性は、はたして偶然なのだろうか。
もし意図的に5月1日を選んだとしたら、僕はそのsupervisior, conductorのintelligenceの深遠さに敬服せざるを得ない。ここまで人々の深層に食い込んだヒトラを、死亡の日からだけでremind ofさせてしまう、その蓋然性の構築を、誰がしたにせよ、緻密なからくり時計の中を覗くようで、もう感服の一言である。(実際はヒトラーは4月30日の自殺であり、報道されたのが5月1日ということなのだが)。
いずれ時が過ぎ、この、あるいは意図性のある日付も、意図さえ忘れさられ、不安と不穏に満ちたミステリアスすぎる2人の関連性に、人々は不思議さを感じ始めるのだろうか。
1年後、10年後、そしてこれから毎年5月1日になると、その日の出来事欄には「ビンラディンの死亡ニュース」「ヒトラーの死亡ニュース」と並び続けるのだ。これから永遠に。
なんとよくできたプロットなのだろう。多くの血が流れ、悲劇が起こり、遺族が生まれたこの戦い、アメリカ史においてベトナム戦争を越える最も長いアルカイダとの戦争は、まるでシェイクスピア劇を見ているかのごとく、カタルシスさえ感じてしまうほどのエンディングが用意されていたのだから。感嘆の言葉すら忘れてしまう。
TIMEにCross markをつけられたのはTIMEの歴史上4人しかいないと最初に述べた。では栄えある一人目は誰なのだろうか。1945年5月7日のTIMEの表紙に、赤いCross markですべてを否定された人物とは。1945年地下壕で結婚式を挙げ、服毒自殺した人物とは。1970年に遺体が秘密裏に掘り起こされ、遺体安置所がNeonatismの聖地とならぬよう、エルベ川にソビエトにより散骨された人物とは。それはまるでビン・ラディンと同じ水葬のように。
TIMEで最初にCross markを受けたのは、誰あろう、アドルフ・ヒトラーその人であった。
なんという偶然なのだろう。不自然なほど多い共通性の符号に、今は疑問を抱いたとしても、いつか「歴史の不可思議な偶然性」と語られていくのだろうか。きっといくのだろう。
歴史には常に、ことのほか卓越したストーリーテラーがいるのかもしれない。かの人は舞台監督となり、民衆にカタルシスを与えてくれる。
気になることがひとつ。
この物語には、続きがあるのだろうか。
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